東野 英治郎(とうの えいじろう[2]、1907年(明治40年)9月17日[2] - 1994年(平成6年)9月8日[3])は、日本の俳優、随筆家。戦前期の芸名は本庄 克二。身長159cm[4]。

1962年2月19日、『東京新聞』に「“声”優に危険手当てを - 他人の演技に合わす苦しみ」と題するコラムを発表。外国産テレビ映画の他人が演じた動きに声だけを当てはめるアテレコは、俳優として片輪になりかねない危険な仕事だと主張した[14]。東野の意見に対し、安部徹からは反論が、夏川大二郎からは賛同が寄せられた。1981年には永井一郎から反論を受けた。詳細はアテレコ論争を参照。

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