「三国志」って物語自体がどう見てもBAD ENDなんだけど、どこでどう間違えてどうなるのがHAPPY END(TRUE END)だったの? [399583221]
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司馬懿(しばい)仲達とその一族~三国統一にいたる血脈【前編】【中国歴史夜話 13】
司馬懿(しばい。179~251)は、三国志のかくれた主役と呼べるかもしれない。おおかたのイメージでは、諸葛孔明の好敵手という役回りだろうが、ご存じのとおり、最終的に天下を統一したのは、彼の孫・司馬炎が樹立した晋王朝である。
司馬懿は実質的な創業者として、のちに「宣帝」の名を贈られている。本稿では、最後の勝利者ともいうべき司馬一族の血脈と、天下平定にいたる道のりを追う。
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司馬家の八達
司馬懿の生家は河内郡温県(河南省)の名門。父の司馬防は都で官吏として要職を歴任したが、このとき若き曹操を尉(警察長官)に推挙したという話がのこっている。事実とすれば、これが司馬家と曹一族の出会いとなる。
司馬防はきわめて厳格な人物だったらしく、息子たちは成人してもなお、ゆるしがなければ父のまえでは座らず、問われた内容以外のことばを発することもなかったという。8人の息子たちはそろって優秀だったため、「司馬家の八達」と称された。みな、字(あざな。通称)に「達」の文字がついていたからである。司馬懿の字はよく知られているように「仲達」だが、「仲」は次男であることを意味する。若くして大器との評判がたち、人材獲得に熱心だった曹操から仕官の声がかかった。いちどは病を口実にことわったものの、再度の要請を受け、しりぞければ身があやういと感じて応じる。赤壁の戦い(208)と同年のことであった。
正史「晋書」では、出仕を渋ったのは漢王朝への忠義心からとするが、その生涯を顧みると、司馬懿はもっと怜悧な人物だったように思える。のちに魏を簒奪(さんだつ)する司馬氏としては、意に染まぬ仕官だったというストーリーを作りたかったのかもしれない。
孔明との初対決
曹操の幕下へ参じた司馬懿は、冷徹な洞察力でたちまち頭角をあらわしてゆく。西暦219年、劉備配下の勇将・関羽が都をおびやかし、さすがの曹操も遷都を考えるまでに追いつめられた。
このとき諫言し、思いとどまらせたのが司馬懿であり、のみならず呉の孫権に関羽の背後を突かせるよう進言する。この献策が容れられ、関羽は呉に討たれることとなった。
曹操は司馬懿の才を警戒していた節があり、世子・曹丕(魏の文帝)に注意をうながしている。が、司馬懿は曹丕の治世下でこれまで以上に重用され、その死(226)に際し後事を託されるまでになった。ここでしりぞけられていれば、のちの晋王朝はなかっただろう。
運命の数奇というものを思わずにはいられない。
231年、魏討伐を果たすべく、諸葛孔明が祁山(きざん。甘粛省)へ進出。魏軍をひきいる司馬懿と孔明が、はじめて正面から対峙する。この折、司馬懿は徹底的な籠城戦術を取った。
部将たちの突き上げを抑えきれず、一度は打って出たものの、これが惨敗に終わってからはいっさいの攻撃をひかえる。食糧が尽きた蜀軍は、ついに撤退を余儀なくされたのだった。
五丈原~英雄は英雄を知る
両者の再戦は、この3年後。ところは五丈原(陝西省)、と聞けば察しのつく方も多いだろうが、孔明最後の戦場となった土地である。このときも司馬懿は持久戦術を採り、動こうとしなかった。しびれを切らした孔明は、女性用の髪飾りなどを送って挑発する。
「それでも男か」というわけだが、いささか彼らしくない振る舞いと感じるのも筆者だけではあるまい。みずからの命が尽きようとしているのを察し、焦りを覚えていたのかもしれない。
ここまでされては黙っているわけにいかず、司馬懿も攻撃を決意する。今しも出陣しようとするところへ、皇帝(曹丕の子・曹叡=明帝)からの使者が立ちはだかり、自重をうながした。
絶妙のタイミングと見えるが、じつはあらかじめ打ち合わせておいたものだという。司馬懿自身が挑発を受け流したくとも、配下の将に臆病者とあなどられるのも不都合。
前回はそのためあえて出撃したのだろうが、こたびはそれを教訓として、ひと芝居打ったのである。司馬懿は蜀の使者から孔明が激務をこなすさまを伝え聞き、その死が近いことを確信していた。いそぐ必要はなかったのだ。
けっきょく孔明は、司馬懿の持久戦術に命をけずられるかたちで陣没、蜀軍は撤退する。のこされた砦を視察した司馬懿は、その見事さに感嘆し、「孔明はまこと天下の奇才である」と称賛を惜しまなかった。
ちなみに、引きあげる蜀軍を深追いせず退却したことが、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事の出どころとされる。
諸葛孔明の好敵手というイメージの強い司馬懿だが、じっさいの対決はこの二度にすぎない。持久戦に終始したのも前述のとおりである。といって、司馬懿に軍才が欠けていたわけではなかった。
これ以前、蜀からの降将・孟達がふたたび故国へ内応しようとした折(228)には、皇帝の許しを得るまえに迅速な攻撃をくわえ、大事にいたることを防いでいる。相手によって、最適と思われる戦術を選んでいたのだろう。
孔明との対決は華々しさに欠けると見えるかもしれないが、筆者にはむしろ息詰まる心理戦と感じられる。やはり、このふたりは好敵手といってよいのではなかろうか。 司馬一族にとってはハッピーエンド
全ては視点の問題 劉備、関羽、張飛、曹操、孫権辺りが全滅したら終わりだよこの物語 スリキンだと司馬懿を主人公の一人扱いしててかなりよかった 司馬懿個人はともかく
司馬一族もBAD ENDだろ 三国時代が終わって司馬が「晋」を建国したんだぞ
ハッピーエンドだろう 歴史とはバッドエンドの連続のクソゲーだからな
どの選択肢でもバッドエンド >>4
あれでハッピーエンドなら全員ハッピーエンドじゃね このスレは 司馬遼太郎の著作物を教科書に日本史の授業や試験をするようなもん 水滸伝みたいに後半をカットして「俺たちの戦いはこれからだ」で終わらせればいい。 創作と言えど水滸伝もなかなかの胸糞悪い終わりだったな >>8
曹ヒをクローズアップしてるとこもポイント高い >>17
桃園の誓いで「俺たちの戦いはこれからだ!」 吉村英治にして最後は投げてるけど
結局どう終わるん 刑(けい)州て内陸部じゃん。昔は海沿いはあんまりひらけてなかったんだね 関羽が荊州から劉備が益州から魏に攻め入り曹操と天下分け目の大合戦を行う 儒家は曹操嫌いだからな
だから演義なんつーもん創った それでも今現在の中国人も自分たちを漢民族の末裔だと称するからな
漢字は漢字だし
日本人も中国人も秦でも晋でもない漢が好きなんだよ
つまり劉備が正義であることに変わりはない 実際億が一でも劉備が曹丕倒して漢王朝二度目の再興に成功したら
簒奪の手段としての禅譲が王莽曹丕と二回続けて失敗とか
こんな縁起悪い手法使う奴いなくなっていたかも 劉備勝たせたいなら最初に陳羣を無理矢理連れてこないとダメ 三国志と日本の戦国時代ってよく比較されるけど
織田信長の圧倒的主人公っぷり
↓
急転直下の本能寺の変
↓
秀吉が天下統一
↓
関ヶ原でオールスター大集結の最終決戦
↓
300年近い太平の世
という流れが物語としてあまりにも完璧過ぎるんだよな戦国時代は
三国志は北伐以降があまりにもグダグダ過ぎる上に魏すら勝者ではないってのがつまらん 関羽の代わりに魏延をおいとけば良かった。たぶん蜀で一番役に立つ 国破れて山河ありでええねん兵どもが夢の跡でええねん。それがええねん 吉村さんの2回は読んだ気がするが
あの時 いまのようにネットがあったら果たしてそこまで熱く読んでいただろうか
絶対に読んでないな、その程度の話 司馬師が長生きすればもうちょっとハッピーエンド寄りになったと思う 赤壁の戦いで曹操を倒し魏滅亡
魏を吸収し強大化した蜀に孫権が降伏、戦乱の世が終わる
関羽張飛孔明の薫陶を得て育った劉禅が新たなカリスマとなり、数百年つづく蜀漢王朝を樹立する
>>37
トータスさん >>35
もし田豫が劉備の下にずっと残ってたら荊州任せられたと思う
関羽張飛と並んで最古参だし能力は曹操、司馬懿から有能と認められてる
実際に対異民族で実績残してるし関羽や魏延より上手く荊州を守れたと思うわ 反三国志っていうifストーリー小説読んだけど徐庶や死ななかった英雄が後半活躍するだけで面白くなかった 天下三分の計 パクリ
出師の表 パクリ
赤壁 パクリ
連環 パクリ 徐庶←コイツってオレオレ詐欺に引っかかったようなもんだよね 今年の春から夏にかけて司馬懿軍師連盟見てたけど、司馬懿視点の話でもバッドエンド感強かったな
まず司馬懿は降りかかる火の粉を払い続けるうちに鬼と化した
正妻はそうなる前に死んだが司馬懿に惚れ込んでいた側室も最後には愛想を尽かして死を選んだ
炎が即位するとこまでは描かれないけど、司馬師に跡継ぎがいないから地位がサイコパスキャラの司馬昭に行くこと確定でバッドエンド 劉虞、袁紹、劉備と徳治主義勢力にとって挫折の連続だったから司馬氏による統一はハッピーエンドだろ >>54
とりあえず司馬倫を仲達か
司馬師司馬昭がちゃんと教育していれば・・・ 今までダメダメだった劉備が蜀獲って五虎大将軍揃って漢中王名乗ってこれから反撃や!って所で
呉が裏切って関羽死亡、酒に酔って部下殴って張飛死亡、あっさり火計にやられて劉備死亡、って雑すぎる展開 >>57
あれはそもそも関羽が余計なことしたからや
兵糧足りないからって呉で略奪すりゃ反感も出てくる
だから孔明も仇討に反対したんやろ
演義の美化された関羽を前提に歴史はなさんでくれるか
関羽が曹操逃がしたとか寝言言う奴もいまだいるし 三国志の奴なんかどこか一箇所でも違ったら全然違う結果やろ
基本ハイライトかそこを盛り上げるために残った話やろうし >>59
三国志って物語自体が~って書いてあるスレなのに歴史ではこう!って言われてもだな
歴史ではこう!でBAD ENDなのをどうすりゃいいのか話すスレだろ? 法正と龐統が長生きしてたら蜀はどこまでやれたと思う? 結局内紛とか外国人じゃなきゃ独裁国家は崩れないとか現代日本を見るようだった 『三国志演義』の元となった『三国志平話』っていう絵付きの小説みたいなのでは
なんと劉淵が蜀漢を復活させて晋を滅ぼしてるぞ 司馬昭って一般のイメージと違ってかなりのお人好しだと思うけどな
父と兄が自分に内緒でクーデターの計画練ってた
兄の征呉失敗で何故か自分が降格させられた
兄が死んだら皇帝が兵を取り上げようとしてきた
司馬攸を頭領にしたくて九錫断ってたら皇帝がキレて自ら殺しに来た
皇帝殺したら自分を皇帝に押し上げようとする名士達も諦めてくれるかと思ったが無理だった
漢中取れれば御の字で鍾会の作戦にゴーサイン出したら出征に反対してたトウ艾が余計な気を利かせて成都まで落とした
2人とも調子に乗ってコントロール不能になったけど念のため長安に駐屯したらいつの間にか両方死んでた
九錫、晋王で皇帝ルートは避けられない本当は周公旦になりたかったのに どこで話を区切っても
俺たちの戦いはこれからだ!!
ー 完 ー
これ >>66
中華の歴史には婦好や秦良玉みたいなバケモン女傑が結構居るからな 蜀が全土統一したあとに漢王室に権力全部渡して
桃園三兄弟がみんな故郷に戻って筵売りと塾の先生と肉屋やってるところで終わればハッピーエンドになる 歴史というのはやはり栄枯盛衰であって
それを一部分だけ切り取ってHAPPY ENDとかいうのはいかがなものか カクのいうとおりに
曹操が赤壁起こさずに地盤かためしてたら
曹操が蜀も支配して終わってた 魏のガイジが曹丕
蜀のガイジが関羽
呉のガイジが大半の部下 >>75
でも五代十国時代は綺麗に終わった感あるし 唐の建国ぐらいまで行かないとハッピーエンドにならないんじゃ? 周瑜のせい
孫権が大人しく臣従してたら曹操が天下統一して泰平の世が実現できてた
でもそうなったら物語としてここまで語り継がれることはなかった >>74
石勒が司馬越の敗残兵を持て余して全員生き埋めにするところワクワクするやろ そこらの民からすりゃ誰でもいいから平和にしろよって思ってたろう
だから三国鼎立だろうと完全に統一だろうと戦争が少なくなりゃハッピーエンド 鳳統と法正が死なず、荊州を失わなかった場合はワンチャンある
官渡の戦で袁紹が勝った場合はよりチャンスはあったかもしれん 第一次北伐が蜀が勝つ最大のチャンスだったんだっけ?
もし長安取れれば漢復活もあり得たかもな 戦争にハッピーエンドが
そもそもあるわけないだろ
争うなしか正解はない いち土民の立場になってみればどこでもいいからとっとと統一政権作ってくれたほうが幸せな気はする
最もそれに近かった魏に抗う呉蜀が悪。いくら曹操に徐州虐殺などがあったとしても統一後に全国規模でそれやるはずもないし
でも統一されると外征始めちゃうかもな。それでも国内を踏み荒らされるよりはマシだし 馬謖が間違わないで祁山が落ちて涼州方面取れていたらマジでわからんぞ
魏国内外で反乱誘発してたし蜀有利となれば呉も連動して軍を起こしただろうし >>83
そこで昔の恩人に会って
その敗残兵彼に預けて配下にするハッピーエンドだったろ 「あいつめっちゃ忙しくしてるやん……そろそろ死ぬわ」
普通こんなこと思うか? 魏の強さの秘訣というのは人材の豊富さではなく中国の北というのはモンゴル高原や満州から遊牧民同士の戦いに敗れたり押し出されて難民化した勢力がいて
その難民勢力の積極取り込みをして強力なったのが魏
そして遊牧民を取り込みすぎて晋崩壊し五胡十六国時代突入する
武力最強を目指した結果、魏も敗れる >>69
最近は十六国も南北朝も大好物になった
月並みだが慕容恪と宇文泰が好き >>97
中原の強みは
一人配下にできたら芋づる式に一族登用できることなんだよな
劉備みたいな根無し草は例えば孔明と言う個人は配下にできたけど
諸葛一族と言うくくりで人材バンクにはできなかった 横山三国志って孔明死んでからめっちゃ駆け足で蜀滅亡するけど
実際は死んでから蜀滅亡するまで29年あったんよな
最初に気がついた時は驚いたわ 中国の伝統的見解では春秋戦国時代、戦国七雄が武力で争い武力最強秦が統一したがすぐ崩壊し武力雑魚の劉邦が長命国家を築く
三国時代、三国が武力持って争ったがその三国全部滅ぶ
武力が最強というだけで一時的統一は出来ても長続きしない
そういう教訓材料が三国時代というのが中国の伝統的見解 呉と蜀に舐められた曹操と献帝の時期がバッドエンドであってそっから徐々に盛り返していく >>33
日本の戦国時代は中国なら五代十国~北宋だな
柴栄→趙匡胤→趙匡義 そもそも古代中国の栄光の漢帝国が衰退して中世大分裂時代に以降する過渡期の話だからな三国志
漢が復興したところで中世に以降するのが後ろにスライドされるだけなんだわ 劉備後の蜀の体制って
臣下トップが文武のトップを一人で占めるという
下手したら簒奪楽勝な体制なんだよな
姜維の時代になってやっと陳祗と文武二人トップ体制になるけど スリキンの曲者オーラがヤバい司馬懿が好き
孔明が死んで孔明の遺した木像の前で一人泣くシーンが最高だわ 漢の再興があればハピエンだろ
第二の光武帝が現わればよかった >>24
賈充さえ居なければ…
あいつろくなことしやがらねぇ
親爺は立派だったのに >>110
つまり袁紹が劉虞を説得して皇帝に推したて
曹操を倒せばハッピーエンドと言うことだな >>112
賈充は子孫が絶えたから
スケープゴートのように全部押し付けられたような気がしないでもない >>109
背中バキボキ(;゙゚’ω゚’)・∵.グフゥー >>8
司馬懿が老衰して孫の朗読聞きながら天寿を全うするハッピーエンド風だけどあの後のこと考えるとね… >>108
だからこそ簒奪当たり前の五胡十六国時代を経た唐で武廟十哲に孔明が入るのよね 放浪の年寄り劉備に味方するときの孔明はどんな心境だろう20歳差くらいだっけ嫁入りみたいなもんだもんな
コテンラジオとかで孔明の話会で
公明自身が鶏口となるもを選んだのだけれど
純粋な能力的にはキラ星のごとく人材の居た魏に居たら研究者が知ってる程度の官僚の一人だったかもと
文化度にも寄るけど人口の違いは星の違い
地元の人にとっては神の如き人なんだろうけどな
後世にここまで名前を轟かせる選択をした孔明はスゴイ >>92
当時6000万人いた国民が200万人まで減ったからなあの時代 >>121
でもあれ戦乱で戸籍確認するどころじゃなかったかららしいぞ キャラ人気に全振りでストーリーは割とどうでもいいから >>121
晋の時代になって戸籍作ると
魏の領域の人口だけ跳ね上がるから
屯田の人口はいってないんじゃ説がある >>33
項羽と劉邦がそれっぽいな
史実なのに物語として起承転結がよく出来てる >>120
劉備自体が曹操とは別の意味で時代を代表する英傑なんよ
徐州といい荊州といいあっという間に人心を掴んじゃう
袁紹を立てる選択に半生費やさず自らも知識人とのネットワークを積極的に築いていれば乱世の勝者に十分なりえた 三国志は最古のデスゲームモノ
董卓追討軍で集まった諸将に今から皆さんで殺し合いしてもらいますつって始まる話なわけだ
他の戦記モノには無い展開だから未だにウケてるのよね >>125
三国志はオチないし故事成語なんかも項羽と劉邦の話の方が多めだし項羽と劉邦の方が好きなんだけどな
それでも日本で三国志の方が人気なのは軍師様とイケメンとかのキャラ立ちの良さかね >>1
>>66
国内最大のマッチングアプリ「ペアーズの統計」
男の年齢別人気会員の割合は26歳-37歳で高い(ピーク32歳)
女の年齢別人気会員の割合は20歳-29歳で高い(ピーク26歳)
https://i.imgur.com/YYNA2Mo.png
https://match-app.jp/all/131805
これこそがフェミニストが大発狂する男女の適齢期の違いである
男の年齢は女のそれのマイナス7歳~8歳(市場価値は女の20歳=男の28歳、女の30歳=男の38歳、女の40歳=男の48歳...)
厚生労働省「人口動態統計」による2015年に結婚した夫婦の年齢差
夫が11歳以上年上 … 6.9%
妻が11歳以上年上 … 0.8%
夫が年上 … 57.6%
妻が年上 … 24.2%
https://i.imgur.com/QbMWDLR.png 中途半端にしか知らない頃は魏が統一して200~300年は平和だったんだろうなあと思ってました
まさか晋が統一してそれも短命でその後五胡十六国時代というガチ乱世がやってくるなんて 三国志は中国ドラマみろ
凄え面白いの何個もある
ただ話数が多いのは覚悟しろ 劉備が主人公なんだろうか
呉に荊州あげてしっかり同盟組めばワンチャンあったかね 関羽が曹操に情け掛けず殺してたらまた違ってたろうな 漢人にとってはハッピーエンドだろ
戦乱終わったのだし
劉備のとこなんかずーっと戦争してたわけでな 羅貫中が真面目厨で最後を史実よりにしただけで
三国演義の元ネタや同系統の話は
史実にたったひとつのウソを紛れ込ませるだけで
ハッピーエンドにしちゃってるからなぁ
蜀が魏に滅ぼされた時、劉禅の息子の一人が
魏の追手から逃れて匈奴に逃げ込み
その後、魏は晋に取って代わられ
呉は晋に滅ぼされて、晋が天下を統一すると
北方で力を蓄えていた劉禅の子・劉淵が匈奴を引き連れて晋を攻撃し
晋を滅ぼし新王朝を樹立し国号を漢として
見事に劉備の孫が魏晋を滅ぼし漢王朝を再興させてハッピーエンドって話なんだけど
劉淵が劉禅の子ってトコ以外は、大体史実なのよな とりあえず劉備はクソアホバカ息子をちゃんと教育してから逝くべきだった
あのカスがもっと志高ければ北伐の結末も変わったかもしれない >>142
子供の頃に投げ捨てたせいだから仕方ない 普通に実力負けが長持ちした方というだけ。
あるとしたら早々に呉に入れてもらうぐらいか >>128
吉川英治三国志
人形劇三国志
横山三国志
光栄の三国志ゲーム
このあたりで親しんだ人が多いからな日本人は カプコンのゲームだとハッピーエンドだよ
これが正史って奴ね 司馬懿って言うほどハッピーか?
曹操黄金世代で築き上げた帝国が曹一族のゴタゴタで崩壊していくのを横目に見ていたんだろ
それなりに着地したけど本人としては後悔ありそう つーか劉備の評価が凄いんだよ
陳寿「先主(劉備)は度量が広くて意志が強く、寛大で親切だった。」
人にこの文章書かせるだけで凄い
お前らも生き方見直せよ 黄巾党が中華統一するのが一番血流れないルートじゃね? >>154
安倍だって壺信者ならそんなふうに評価するだろ
ただの身内贔屓 劉備が悪いよ劉備が
官渡で三国志の決着は着いてるのに劉備がさぁ 北方謙三三国志も呂布にだいぶ肩入れしてる感じがしたな
ハードボイルドものというか狙いすぎだと思ってた 横山の読んでると荊州落とされる手前で打ち切り
ガキの頃に何も知らず読んでてショックデカすぎたわ
今じゃ関羽ってクソやんだが 劉備が漢王朝復興させるのも相当バッドエンドだろ
時代に逆行するようなもの その後の八王の乱が酷すぎて三国時代の方がマシだったとまで言われる有様 どこをどう見たらこれがハッピィとかバッドとか考える頭になったの? 北方のヤツらが南下してくるんだから
三国でゴタゴタしてる場合じゃなかったのでは >>166
三国時代までは良かったんだよ
晋の内乱によって国境が崩壊し異民族の入植を許した 八王の乱とかいう関係者がことごとく悪手をうつルート >>112
名将や名臣の二世がゴミって三国志あるあるだな 曹爽が自民党の世襲議員並みに派閥闘争しか能のないゴミだったせいで司馬氏の台頭を許した >>168
まあ異民族を域内に移住させまくったのは曹操の政策なんだけどね…
後漢末の戦乱で人口が減りまくった穴埋めで >>4
北方騎馬民族「(・∀・)ニヤニヤ」
曹操が生きてた頃の魏も、蛮族対策に相当力費やしてたからな。 八王の乱の八人の名前を覚えようとしてるがまだ2人しか憶えられない
司馬越
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