浅田「むしろ、善を目指すことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する。
日本にはそういう露悪趣味的な共同体のつくり方が伝統的にあり、
たぶん、それはマス・メディアによって煽られ強力に再構築されていると思いますね。

日本人はホンネとタテマエの二重構造だと言うけれども、実際のところは二重ではない。
タテマエはすぐ捨てられるんだから、ほとんどホンネ一重構造なんです。
逆に、世界的には実は二重構造で偽善的にやっている。それが歴史のなかで言葉をもって行動するということでしょう。」

柄谷「偽善には、少なくとも向上心がある。しかし人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、
そこから否定的契機は出てこない。全ての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、
いまあることの全面的な肯定しかない訳です。」
(『「歴史の終わり」と世紀末の世界』p.243)