辺野古(沖縄県名護市)の座り込みを揶揄(やゆ)するひろゆき氏のツイートは、日本にとって沖縄があざ笑う対象であることを沖縄に再認識させた。

あざ笑うことによって仲間が出てくる。そこに一緒に乗れる人たち、お客さんがいて、沖縄をあざ笑うことで得られる利益がある。

沖縄はたたいても大丈夫な対象で、沖縄をあざ笑うことで評価される一定の客層がいるということを、沖縄は見せつけられた。

ひろゆき氏のツイートが実際に何十万といういいねをたたき出すことを見せられ、沖縄をあざ笑うことはこれだけの人に受けるということを見せつけられた。

沖縄をあざ笑うことができるのは、沖縄を他者化できるからだ。
沖縄に基地が集中している現状は、沖縄にいれば毎日目の当たりにするからひしひしとわかるが、日本に住む多くの人にとってはそれは沖縄の問題であって他人の問題になっている。

自分たちは当事者ではないと振る舞えることが前提になっている。

「少数のくせになんだかうるさい人たちが騒ぎ立てている」のが気にくわない。だから面白おかしく冷笑する。

そうした差別をしながら、一方で日本のために沖縄に基地を置いてほしいと言う。沖縄は日本ではあるけれども日本ではないという前提が多くの日本人のなかにある。