東大左腕・宮台康平氏、第2の人生は弁護士目指す「10年後、20年後になっていたい姿を想像した」

 日本ハム、ヤクルトでプレーし、今季限りで現役を引退した宮台康平氏が弁護士を目指すことが20日、分かった。東大史上6人目のプロ野球選手として5年間プレー。現役引退後は、就職活動を行いながら弁護士を含めた他業種の先輩たちの意見を聞き、今後の進路を決定。第2の人生を歩み出す左腕に、将来展望や目指す弁護士像を聞いた。(取材・小島 和之)

 ―弁護士を目指す決断をした理由は。

 「僕も迷っていました。簡単な道ではないですし、時間もかかりますので覚悟を決められるかなと悩んでいました。いろいろな弁護士の先生とお会いして、お話を聞かせていただいて、一般企業も見て比較していく中で弁護士の方が面白そうだなというか、裁量が大きい、自由度が高そうだと思ったので『じゃあ目指してみるか』というポジティブな感覚に変わりました。苦労はもちろんあるんでしょうけど、自分が10年後、20年後になっていたい姿を想像した時にそっちの方がいいのかなと思った。挑戦してみようという気持ちになりました」

 ―引退してからの期間は悩む時間が多かった。

「悩みましたが、どちらかというといろんな人に話を聞くという感じですね。1人で考えてもしようがないので、実際に働いている人がどんな思い、ビジョンを持っているのかということを聞いて、自分がそれに重ね合わせられるかということを考えていました」

 ―今後の予定は。

「おそらく法科大学院に行くことになると思います。(大学院での勉強期間は)2年間です。僕の場合は既修コースを目指しているので、まずはその入試に対して勉強をします。既修コースで2年間勉強をして、(司法)試験を受けるという感じになると思いますね」

 ―どういった弁護士になりたいというイメージは。

 「ビジョンについてはあまり明確ではないんですけど、どこかでスポーツに関わっていたいとは思うので、関わり方を模索しているという感じです。それは例えばどういう専門なのか、スポーツ法なのか、肖像権という知財法なのか分からないですけれど、そういう専門性を持った上でスポーツに関われるのがいいと思っています。もしかしたら単純に選手の顧問契約、契約に関する代理人なのかもしれないし、球団経営に対する法務でのアドバイスができる立場なのかもしれない。いずれにせよ何らかの形では関わりたいと思っています」

 ―プロアスリートとしてプレー後、弁護士を目指すケースは珍しい。これまでの経験は今後にどう生きていきそうか。

 「直接、選手としての経験が生きることはないと思います。勉強と野球は違うので。でもどちらかというとマインドの部分だと思っていて、自分で言うのは変ですが努力できるというのはきっとあると思う。成功体験はきっと頑張る糧になる。自分は(プロ野球という世界で)1個トップクラスを見たんだという経験はあるので、そこで及ばなかった悔しさも次はエネルギーに変えて、頑張ろうと。そういう意味で、今までの経験をポジティブに変えられたらいいなと思っています」

 プロの世界で戦い抜いた経験を胸に、唯一無二の道を歩み出す。

 ◆宮台 康平(みやだい・こうへい)1995年7月1日、横浜市生まれ。27歳。戸塚小3年から野球を始め、戸塚中では軟式野球部に所属。湘南では県大会8強が最高。東大文科1類に現役合格。1年春からベンチ入りし、同年秋にリーグ戦初登板。3年時には大学日本代表に選出。2017年ドラフト7位で日本ハムに入団。20年オフに戦力外通告を受けたが、同年の12球団合同トライアウトを受験し、支配下選手としてヤクルトに加入。22年シーズン限りで現役を引退。プロ5年間で1軍通算3試合に登板。0勝0敗、防御率9・00。左投左打。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ac35303cecb8300b831003d699dfe29ff392b21