宮本が書記長を務めていた1950年代から60年代にかけての時期、日本共産党は朝鮮労働党と友好関係を結んでいた。戦前のコミンテルン時代には「一国一共産党」の原則があり、当時日本の統治下であった朝鮮半島や台湾も日本共産党の活動範囲とされた。

詳細は「コミンテルン#日本共産党とコミンテルンテーゼ」および「朝鮮共産党#第4次朝鮮共産党」を参照
この時の名残もあり、戦後朝鮮民主主義人民共和国が建国された後も日本に残った在日朝鮮人の中には、日本共産党員となる者が多数いた。彼らは1955年の在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)結成と同時に事実上移籍する形で共産党を離れるが、その後も共産党と朝鮮労働党の間には朝鮮総聯を通じた交流関係があった。