戦争体験の話でよく話している、「戦後すぐ故郷静岡に帰る途中に、広島で途中下車し、原爆で焼け野原になった広島の街の光景を見た」という話だが[12][13][16]、何故、広島で途中下車したかについては公の場では話さない。戦争中、全国の大半の兵隊は広島の宇品港から外地へ送られたが、三國も出征の前日、死地へおもむく前に、女性を一度でいいから抱いてみたいと広島市内の遊廓で筆下ろしをした。三國はこの遊女が忘れられず、「どんな卑怯なふるまいをしてもいい、どんな恥をうけても生きて還りたい。もう一度あの女を抱きたい」と心の中で誓い、帰還して実はこの女を探すため、まっすぐ広島へ向かったのである。この話は三國の著書『わが煩悩の火はもえて 親鸞へいたる道』や『生きざま 死にざま』にも書かれているほか、かつて『中国新聞』の原爆特集で話したことがある[37][38]。
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