元日の「うさぎ汁」信州と縁 徳川家康ゆかり、愛知県岡崎市の龍城神社|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト
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いわれは松本市に伝わる故事で肉の仕入れ先は飯田市―。江戸幕府を開いた徳川家康(1542~1616年)と縁の深い愛知県岡崎市の龍城(たつき)神社で30日、元日の参拝者に振る舞う「うさぎ汁」の仕込みがあった。ウサギの肉を入れた吸い物を出すのが将軍家の正月行事の一つだったことにあやかり、60年続いている。大河ドラマで家康が取り上げられる卯(う)年の2023年、ささやかに続く徳川と信州との縁も改めて注目されそうだ。
(田中泰憲)
30日午前、龍城神社。職員たちがウサギの肉を一口大に切り分けていた。今年は、飯田市南信濃の「肉のスズキヤ」から3千食分、15キロを仕入れた。ネギと一緒に煮込み、地元の豆みそ「八丁味(み)噌(そ)」で味付けして、元日午前0時から参拝客に振る舞う。
うさぎ汁の配布は3年ぶりだ。新型コロナウイルス流行で2年連続で見送った。禰宜(ねぎ)の畔柳吉生(くろやなぎよしお)さんは「うさぎ年に、また始められて良かった。末永く続けたい」と話した。
■松本市に伝わる故事が由来
家康は岡崎城で生まれた。築城の際、竜神が現れたとの言い伝えがあり「龍ケ城」の別名がある。龍城神社は城内に東照宮を祭ったのが始まり。1963(昭和38)年、社殿造営のため日光東照宮(栃木県)からご神木を取り寄せた際、奉告祭の直会(なおらい)にうさぎ汁を出し、翌年から元日の参拝者に振る舞い始めた。
日光東照宮では元日にウサギを供える。ウサギにまつわる故事が発端で、松本市の「林古城会」などが、林城跡など小笠原家ゆかりの史跡を継承しようと立てた約30の説明板のうち、同市里山辺にある一つがその一説を紹介している。
徳川氏(松平氏)の始祖とされる、松平有親(ありちか)・親氏(ちかうじ)の親子が暮れも押し迫った雪の降りしきる寒い日に旧知の林藤助(とうすけ)光政を頼った逸話を引用。「ようやく一羽の野兎(うさぎ)を見つけ(中略)馳走(ちそう)したところ、父子は甚(はなはだし)く感動して帰路についた」。家康が幕府を開くことになり「『これはかの兎のお蔭(かげ)』と正月に諸侯に兎のお吸い物を振る舞うことを幕府の吉例にした」と記している。
林古城会の小岩井俊忠会長(77)=松本市里山辺=によると、一帯は「兎田」と呼ばれてきた。
うさぎ汁と里山辺を巡るいわれについて、現存する文書としては善光寺道名所図会(1849年)が知られている。馬に乗った林藤助光政が弓を引いてウサギに狙いを定める挿絵がある。
■使う肉は飯田市南信濃の業者から
龍城神社では、この故事に基づき、うさぎ汁に使う肉は信州からと決め、「肉のスズキヤ」から仕入れている。
スズキヤはジビエなど幅広い肉を扱い、国産ウサギは年に約300匹分をフランス料理のレストランや個人向けに販売。代表の鈴木理(まさし)さん(62)によると、伊那谷では戦時中、パイロットが身に着ける毛皮にするためウサギの飼育が盛んだった。肉は副産物で「お年取りの魚が高価だったため、代わりに食べる家も多かった」と語る。
松本市立博物館の木下守館長(60)によると、ウサギを巡る話には諸説ある。善光寺道名所図会はいわば当時のガイドブックで、松本を舞台にすることで、旅人を呼び込む意図があったとみる。
ただ、名所図会が引用した一つ、随筆「塩尻」ではウサギを捕ったのは秋葉山(浜松市)とされていた。松本を舞台とした故事が広まった背景について、木下館長は「(随筆は分量が膨大のため)多くの人は名所図会を手に取ったと考えられる」と推測している。
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【善光寺道名所図会】 江戸時代後期の1849(嘉永2)年に出版されたガイドブック。本洗馬(塩尻市)から中信地方を北上して善光寺を中心とした北信地方、さらに東信地方に至る沿道の名所旧跡の魅力を挿絵を交えて紹介している。「兎田」については、室町時代に信濃守護だった小笠原氏が菩提(ぼだい)寺として創建した松本市里山辺の広沢寺の解説とともにいわれを掲載。引用している文献は武士の実務参考書「官中秘策」、家康とその祖である松平八代の伝記「東照軍鑑」、尾張藩士・天野信景(さだかげ)の随筆「塩尻」。このうち、松本を舞台としているのは「官中秘策」で、同様の記述は徳川氏創業期の歴史書「三河後風土記」にも登場する。
(後略