お金の流れの透明性こそ市民運動の命

私は2017年に「希望のたね基金」という団体の理事になった。「正義連」と連携し、日韓の若者の交流事業などをしている。そこで痛感させられたのは、お金の流れの透明性こそが、市民運動の命、ということだ。ざっくりと大きな財布に入ったお金を好き放題使えるはずもなく、使途が明確に決められた小さな財布を複数の目が管理している、というのが常識だ。日本からすれば、正義連の資金は潤沢に見えたが、それでも使われるお金は厳しく審議され、誰だろうが自由には引き出せはしない。
https://dot.asahi.com/amp/dot/2022030100042.html


「Colaboへの攻撃は、最早フェミサイドにも相当する女性への暴力だろう」この件で、中立を保つような顔で評論する言論人もいますが、そういう姿勢がネトウヨに荷担していることに他ならず、その影で何が壊されようとしているのか見るべきでしょう。
https://twitter.com/minorikitahara/status/1611529039830978561?s=46&t=7QsXbjGsIOu0mhMvUKpQsw
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