同友会でうめきたに関わる委員会の委員長を17年間務めた篠﨑由紀子さんは「残る2期地区には『ほんまもんのみどり』を」と、公共による土地取得と緑地の実現を訴え続けた。同じ国鉄貨物駅の跡地で、土地の切り売りで無秩序な街になったと批判された東京・汐留の開発が反面教師だった。「これまでは経済と産業が都市をつくってきた。今後は環境と調和する都市の魅力で新しい産業が生まれる時代」と、考えた。
しかし土地を所有する旧国鉄清算事業団は高値売却による債務返済が大方針。経済界には1期同様に土地の高度利用により開発効果を追求すべきだという意見が根強かった。09年に官民の協議会が示した2期ビジョンではビルが中心で緑地は1ヘクタール程度の案が示された。さらに当時の平松邦夫市長はサッカーW杯誘致へ8万人規模の巨大スタジアムを建設する構想に賛同し、「みどりのうめきた」は風前の灯となった。
ところが11年に大きく潮目が変わる。まず3月の東日本大震災で防災空間への意識が高まり、ヒートアイランド現象で環境問題にも注目が集まった。11月の大阪市長選挙では「うめきたを(ニューヨークのような)セントラルパークに」と訴えた橋下徹府知事が市長にくら替え当選した。