https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/chie-yokota/2021-00631

社)



壮次郎氏は19歳で帰郷すると、しばらくは天狗煙草の南九州一帯の販売を手掛けていたが、1903(明治36)年に「戦費調達」の名目でタバコが国の専売になってからは権利を手放して、「菓子問屋」と「製造」の2本の柱で新事業を始める。これが今のセイカ食品の前身となる松浦屋である。そして1924(大正13)年にボンタンアメが誕生したのだ。



空からボンタンアメを降らせよう
1928(昭和3)年になると、壮次郎氏は雨と飴をかけて「空からアメを降らせよう」と、払い下げの軍用機を購入し空からボンタンアメを降らせる広告計画を立てた。



ちなみに、飛行機からチラシを撒くのは大正~昭和にかけて定番の手法だったようである。英語圏のように、チラシは空から飛んでくるものだから「フライヤー(flyer)」と呼ぶのもこの時代に浸透した。しかし、チラシは一般的でも、食べ物を空から撒くのはほとんど例のないことだった。



f:id:exw_mesi:20211123135743p:plainセイカ食品:飛行士を雇って準備を進めており、宣伝課長ら2名が上京するため鹿児島の鶴鳴館(明治30年に創業された日本海軍トップも御用達のサロン)で壮行会を行って、それが新聞にも掲載され大変な前評判だったようです。
しかし、不景気で送金が遅れてしまい結局実現せず、上京した2名に「スグカエレ」の電報を打ったそうです。