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「能楽はチル。エンタメよりも美術館に近い」シテ方宝生流20代宗家の宝生和英さんに聞く

日本の伝統芸能の能楽を見ていると眠くなる人もいる。でもそれは能が見る人を深くリラックスさせる「チル」だから、それでも良いのでは、という初心者向けの鑑賞法について書きました。「チル」は、最近、サウナでも流行している深くリラックスすることを意味する言葉ですが、「能楽はチル」と説明してきたシテ方宝生流20代宗家の宝生ほうしょう和英かずふささん(36歳)にその意図を聞きました。
――能楽はチルと説明するようになったきっかけは?

こうした表現を始めたのは2015年のミラノ万博がきっかけです。伝統芸能やポップカルチャーなど色々な日本文化のライブイベント「ジャパンデー」で、私が出演した能楽のときだけ、観客が一気に「冷めた」のです。その前後では熱狂しているにもかかわらず、サーッと熱気がひいていったのです。その瞬間は、自分の力不足、とにかく悔しいという気持ちしかありませんでした。しかし、終わったあとで、色々な人が、熱気のある観客を一瞬で静かにさせたことって逆にすごいよねと言ってくれました。そこで、日本文化には「冷ます属性」の文化もあるのだと思ったのが、スタートだったのです。
――冷ます属性の文化とは?

日本の伝統文化というと、歌舞伎を思い浮かべる日本人は多いでしょう。さらに言えば、能楽と歌舞伎は「日本の伝統芸能」という同じカテゴリーになっていますよね。でも、私はこの2つを一緒にすることにはずっと違和感があって、よく考えてみたら、それぞれ生まれた背景が異なるのですよね。
江戸時代に生まれた歌舞伎は、エンターテイメント性が重要な要素ですが、これは平和な江戸時代だからこそ、見る人の気持ちを高揚させるエンタメ性が求められたからでしょう。
では、能楽が大成された室町時代はどうだったかというと、江戸時代に比べるとまだ世の中が混乱していた時代ですよね。普段から生きるか死ぬかの危機に瀕する可能性が高い室町時代には、日常に刺激を求めるよりも、気持ちを抑える作用がある芸能が求められた。そして生まれたのが能楽だったということが見えてきたわけです。
だから能楽に歌舞伎のようなエンタメ性を期待しても、そもそも目的が違うわけです。例えば、美術館で拍手をする人はいませんよね。美術館は、一人ひとりが作品を見て感じる時間を過ごすところであって、みんなが一斉に熱狂するような場ではないからです。

――エンタメと方向性の違うという意味で「チル」を?

今は「能楽はチル」と言っていますが、当初は「アンビエント」という言葉も使っていました。「アンビエント」は、環境音楽と呼ばれる音楽のジャンルです。ブライアン・イーノという音楽家が代表格です。普段、生活している音も音楽なんだと定義して、日常を音楽にする意欲的な楽曲を作り上げてきました。彼の音楽が面白くて、それと同時に、当時アメリカで音楽のジャンルとして「チルアウト」という言葉も流行っていたので、私は「アンビエント」と言ったり、「チルアウト」と言ったりしていました。
日本では、レイ・ハラカミさんという音楽家がいらっしゃって、この方の音楽も私はすごく好きなのですが、彼らの曲に共通するのは、一定のリズムで一定の音を繰り返して、「サビ」のような耳で覚えられるような印象的な音をあえて作らないところです。言ってみれば、印象に残りづらくすること、環境を邪魔しないことを逆に売りにしているわけです。そこが私が考える能楽の「属性」と近いので「チル」と言うようになったわけです。「チル」は近年のサウナブームにのって、あれよあれよという間に、一般的に使われるようになり、若い人たちの間で「チル」という言葉は「落ち着く」という意味で収まるようになりましたが、私が使っている「チル」はもともとサウナ用語ではないのです(笑)。
――チルとリラックスとは違うのですか?

私の中では、ちょっと違うものと感じています。「リラックス」は、何も考えないで無になるというイメージがありますが、「チル」は、思考する時間を持たせることを大事にすることや、感受性を発揮する時間であることが重要であると考えています。みんなで同じものを熱狂しなくても良いということでもあります。落ち着くということは自分のパーソナリティーを再認識することでもあります。

――パーソナリティーを再認識とは?

さきほど能楽鑑賞と美術鑑賞が似ていると言いました。私は東京国立博物館に時々行くのですが、なにか特定の作品を見に行くのが目的ではなく、自分のことを考えるための時間として使っています。