日本共産党は、派閥や分派がいかに有害なものであるかを、身をもって体験しています。旧ソ連・中国などからの干渉によって党が分裂した「50年問題」は、党と社会進歩の事業にとって計り知れない打撃となりました。その総括にたって、いかなる事態のもとでも党の統一と団結――とりわけ中央委員会の統一と団結を守ること、規律をやぶる分派主義は絶対に許さないこと、などの教訓を引き出しました。現在の指導部の選出方法は、こうした教訓を踏まえたものでもあります。個人中心主義のやり方を排して、集団的な指導を重視すること、党内の民主主義的な気風を大切にすることも、「50年問題」からの重要な教訓です。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-11/2023021104_01_0.html

 くだんの〝リンチの応酬〟は、50年1月から51年10月までの完全分裂期と、53年7月から55年7月までの党内闘争期のみならず、その中間の時期にも(あるいは55年7月以降もしばらくは)続いた。例えば52年6月、所感派系の学生たちが国際派系の学生たちを立命館大の構内で集団リンチした際には、殴る蹴るのみならず、焼けた火箸を当てたり、女子学生を輪姦することさえおこなわれたという。この時期の共産党内の雰囲気はとにかく陰惨の一語に尽き、リンチ事件は〝スパイ査問〟という名目でも(例えば国際派の内部でも)多発している。
https://note.;com/toyamakoichi/n/n21f3503cfd6a