やけくそで近鉄入団。契約金は泡と消えた

 創設以来一度も優勝がなく、お荷物球団と揶揄された近鉄は1965年のドラフト施行以降、毎年3人以上の選手から入団拒否に遭っていた。幼い頃から東京で過ごしていた栗橋にとって、大阪に本拠地を置くチームは全く馴染みのない上に、指名前の挨拶もなかった。

「合宿所に戻ったら球団代表が来ていたけど、太田監督には『河合楽器に行きます』と言った。ただ、その年から学生が拒否したら、プロは2年間指名できないルールができた。社会人に行ったら(早くて)25歳で入団でしょ? だから悩んだし、近鉄もしぶとかった。迷いに迷って越年したの。そしたら新聞社が実家に押しかけて、お袋が参っちゃってね。『だったら行くわ! 』という投げやりのやけくそで入団を決めた。誰も『おめでとう』なんて言ってくれなかったよ」

 突然、契約金という名の大金が入った栗橋の実家には有象無象が押し掛けた。

「不動産業者が来て、お袋を旅行みたいな感じで北海道まで連れていってさ。『ここの土地は将来、価値が上がりますよ』と調子のいいこと言って、お袋が買わされちゃった。当時で1000万だもん。これで契約金が消えた。売れないから、未だに持ってるよ。坪100円もしないよ。俺、一度も行ったことないんだよね。遠すぎて辿り着かない。買ってくれない?」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f8b33a760feb90a1a494406ceaa3e728cbf2a2a9