この仮説の基本的なロジックは、社会心理学者である山岸俊男の『安心社会から信頼社会へ』に依拠している。まずは山岸らの研究グループの主張の元になっている日米比較調査を紹介しよう。その調査によれば、「たいていの人は信頼できると思いますか、それとも用心することにこしたことはないと思いますか?」という質問に「たいていの人は信頼できる」と答えたのは、日本では26%、アメリカでは47%だった。

同調査には「他人を助ける」ということに直接的に関係している質問として、「たいていの人は、他人の役に立とうとしていると思いますか、それとも、自分のことだけに気をくばっていると思いますか?」というものもあるが、それに対して「他人の役に立とうとしている」と答えたのは、アメリカでは47%だったのに対して、日本では19%だった。

(中略)

その上で、日本人が他人を信頼して(いるように見えて)、他人と協力するのは、例えば江戸時代の制度で言えば五人組など、ルールから逸脱することに対する相互監視と制裁という社会を支える制度があるからである。言い換えれば、相手が自分を騙したり、自分に対して悪いことをしないだろうという考えを、相互監視と制裁の社会制度が担保しているのである。

逆に、相互監視と制裁がない状態では、日本人は日本人同士で信頼し合えない。また、相互監視と制裁の社会制度がない状態では、多くの日本人は助け合いを促す社会的圧力がないため、先述の日米比較調査の結果のとおり「たいていの人は、他人の役に立とうとしておらず、自分のことだけに気を配っている」という考えをもつことになる。

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