「天皇誕生日」の変遷をたどると、暗い歴史に紐づけられた出来事もあった

私たち日本人の暮らしに溶け込んでいる祝日や記念日は、皇室の成り立ちとその歴史が深く関わっている。
 例えば2月23日は、今上天皇の「天皇誕生日」であるが、
歴代天皇の変遷によって日付は変わってきたものの、明治以来、祝日とされ国民の休日となってきた。

 ではその前はどうだったかというと、国民の休日という概念自体がなかったことから、現代の定義には当てはまらないが、
宮中では現人神である天皇が生誕した日を「天長節」と呼び、厳かにお祝いしていたようだ。
 ちなみに「天長節」の起源は中国の唐代、8世紀の半ば頃までさかのぼり、
楊貴妃を寵愛した玄宗皇帝が、老子の「天長地久(天は長く地は久し)」の思想に基づいて発案したと言われている。
 日本にこの思想が渡ってきたのは、玄宗皇帝とほぼ同時代に生きた、第49代光仁(こうにん)天皇の御代であった。
光仁天皇が詔勅によって、自らの誕生日を「天長節」として祝したと伝えられている。
 明治元年からは明治天皇の誕生日である11月3日(旧暦9月22日)を「天長節」と公に定め、
国民にも太政官布告によって「庶民モ一同嘉節ヲ奉祝候様被仰出候事」と祝意を奉じるよう求めたのである

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https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74064