焼夷弾についての研究は、いつから、どのように進められていたのだろうか。

 本格的な研究に乗り出したのは、1943年に入ってからだった。アーノルドら航空軍は、早くから焼夷弾に目を付け、日本への空爆で活用方法を探っていた。そのために、焼夷弾の有効性を確かめる実験まで行っていたのだ。焼夷弾爆撃の研究には、焼夷弾を製造する石油会社や化学者、さらには火災保険の専門家らが協力していた。例えば、戦争前に日本で営業していた保険会社からは、日本の市街地の火災情報を提供してもらっていた。

 焼夷弾爆撃の実験場は、ユタ州ダグウェイに広がる砂漠地帯にあった。そこに、日本の下町の住宅街を建設していたのだ。街並みは、通りの幅、建物の距離、家の寸法、建築木材、さらには住宅の中に置かれている家具や畳に至るまで、東京と全く同じものを再現する徹底ぶりだった。この巨大な“東京の模型”を、わざわざ実験のためだけに作りあげていたのだ。

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