●信康は武将の理想像だった?

 信康はカーッとなると、見境がつかなくなることが広く知られていました。徳川家には代々、激烈な血が流れていて、信康も自分に仕える重臣を多くの人が見ている前で罵倒することが、多々ありました。

 信康はそうした激しい気性の人間でありながら、戦においては「俺も死ぬからお前らも死ね」と家臣を鼓舞して、突撃するタイプの、最高の指揮官でした。江戸時代初期に旗本・大久保彦左衛門が著した『三河物語』には、戦国武将の理想像として描かれているほどです。

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