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ルシファーの自伝抜粋
中年になっても小学生の頃を克明に覚えてて、それを嬉しそうに語る点では、自殺しただるまに通じるものがある

東大理3への道
金子裕介(lucifer)
2021年10月9日 16:17
\30,000
https://note.com/fxgodzeuss/n/nc6a0b190a930

(略)

 そして、小学4年生からは日能研に通いました。成績はそれなりに良かったです。4,5,6年のときにカリキュラムテスト(通称カリテ)で1回ずつ1位となりました。
また公開模試では最高3位になりました。当時は、優秀者は賞状をもらえて、合計30枚くらいもらいました。また、算数は全国トップレベルでした。
特に、カリテ算数では完全にトップだったようです。当時の日能研のテストでは正答率が出てきましたが、算数の1%問題が相当量解けました。
だいたいほかの易しい問題を早く解ききってから、最後の超難問に時間をかけて挑むというのがスタイルでした。塾の先生からも注目されていたようです。
授業では、算数では相当解く速度が速かった。周りも争って解いていましたが、大抵私が一番解くのがはやかったです。
国語は当時の先生の教え方がうまく、徐徐にではありますができるようになりました。最後の頃のカリテ国語では満点も出した。
また、社会、理科についてもそれなりにできたようですが、当時はどちらかと言うと社会の暗記に力を注いでいて、家での自主勉強もそれが中心でした。
実際、社会の成績も良かったです。しかしながら、後の東大理3入試を見据えると、理科を重視した方が良かったかも。
ただ、まあ、それでも成績は上位を連発していましたね。

 そんな感じですから、当然のように中学受験も受かりました。進学先は全国でも1,2を争う偏差値だった学校にしました。
(ちなみに、誇張ではなく本当です。まあ、それを言ったらどこの中学が特定されますが、別に良いです。)

(略)