体面主義の子育ては、親子ともに不幸
子供には豊かな人生を送ってほしい。そのためにも、考え抜かれたカリキュラムと優秀な教師のもとでハイレベルな授業を受け、キラキラした仲間たちと切磋琢磨できる教育環境を与えてやりたい。親がそう考えたとしても、間違ったことではないし、他人が否定すべきことではない。ただし、それが、親が世間体を気にし、自分のプライドのために、子供に強要しているとしたら、どうだろう。親子ともに不幸ではないだろうか。
「エリートである自分の子供はエリートであるべき。だから、名門校に通わせ、卒業後は、誰もが知る有名企業に入社させたい。そんな風に考えている親御さんも、少なからずいると思います。そうした体面主義の教育に、意味はあるでしょうか」
上を目指したいという向上心は尊い。しかし、人生を幸せに生きる能力を身につけることこそが最も重要だと、三浦さんは指摘する。
「必死に頑張って、目指す場所に到達しても、今度はそこに留まり続けるために、さらに走り続けなければならない。なぜ走り続けるかというと、転落の危機を感じるから。そして、転落の先にものすごい不幸が待っていると怯えるからでしょう。それでは、人生がつまらないものになってしまいます。それよりも、お金だけに追いまくられず、好きな風物を楽しんだ方が、人生が豊かになると思います」
そもそも、私たちが他人を評価する際、「〇〇大学出身だから信用できる」「〇〇で役員を務めているから好人物だ」など、所属や出身校で判断することは、あまりない。それよりも、「あの人は気持ちがいい人だ」「誠実で、信用できる」というように、人格を判断基準にすることの方が、ずっと多いはずだ。
「けれど、対象が子供となると、勉強ができるとかスポーツが得意など、能力で判断しがちです。それって、おかしなことだと思いませんか?」
最後に、三浦さんが考える、次世代を生きる子供たちにとって必要な力とは?
「ひとつは、人の気持ちを推し量れる力ですね。人の役に立つには、相手がどんなことを望み、どうすれば助かるか、喜んでくれるのか、察することが必要です。それができれば、社会のなかでうまくやっていけると思います。
もうひとつは、やり抜く力。この力がなければ、何事かを成すことはできません。好きなものがあれば、自然とやり抜こうとするようになるでしょうけれど、日々の暮らしをきちんと回すことでも、この力は養えます。たとえば、朝6時半に起きて、スイミングに行き、朝食をとり、洗濯や掃除をしてから仕事に行く。何でも構わないので、毎日の習慣を決め、それを確実にこなしていくことで、やり抜く能力は磨かれると思います」
教育とは、子供を偏差値が高い学校やエリートが集う名門校に入れるためのものではなく、豊かに生きる力を育むためのもの。三浦さんの子育て論は、本来の教育の在り方を再認識するきっかけになりそうだ。