押井守「商業アニメの本質は『エロと暴力』基本的にはこの2つしかない」 [723997461]
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映画祭の役割は賞だけじゃない。押井守監督がほぼノンストップで語るアニメ文化の継承と業界の問題点
「アート」と「商業」。二極化する理由とその根本的な違い
―押井監督はアニメがアート系作品と商業作品とで分断されていることを課題として指摘されています。その分断はなぜ起こっているのでしょうか?
押井:そもそも一般的な商業アニメとアート系アニメとでは、ポップスとクラシックくらいの違いがあるんですよ。動機も違えば、やっている人も違う。アート系アニメーションはヨーロッパで始まって、個人作家や少人数のチームによる作品がほとんど。そして、制作の動機はいろいろあるけれども、アート系作品は商業的な成功を目指すものではなく作家が考える芸術的な表現をしたいというのが基本なんです。
また、作品の多くは短編です。なぜならアニメーションは作品の時間と制作費が比例するため長編だとお金がかかるから。商業アニメーションの仕事は、テレビシリーズだと最低200人が必要だし、映画だと1000人以上が関わって平気で2~3年かかるので、どちらにせよ億単位のお金が必要なんですよ。だから漫画や小説、音楽と違って、商業アニメは作家個人の動機でできる世界じゃないんですよ。
押井:そうした制作コストは作品の内容にも影響していて、基本的には商業映画=エンタメだから、かわいい女の子だったり、戦争だったり、ロボットだったりがでてくる。まぁ、簡単に言えば「暴力とエロに満ち満ちた世界」が描かれるわけです。多少は泣かされるドラマがあったりしても、広い意味で言えば、どれも「エロと暴力の世界」。もっともこれは私の言葉ではなく、ゴダールの『気狂いピエロ』の劇中で、アメリカの映画監督サミュエル・フラーが言ったことなんだけれども、私はそれに非常に共感するわけですよ。私がアニメーションとか映画をつくっているときも、基本的にはこの2つしかないですから。もちろん、そこから出発して多少の批評的意識や、時代に関して言いたいこと、あるいは予感や文明批判、人間の実存への問いなどが描かれることもありますが、はっきり言って商業映画の本質は「エロと暴力」です。
だからエンタメの長編作品には、「言いたいことがある」って作品もあるけど、多くのロボットものとかアクションものがそうであるように「ただ単純に快感原則を追求する」作品もある。最近はさすがに「何にも言いたいことないけどつくりました」という作品はなくなってきて、それなりにどの作品にも主張があるようになってきていますけどね。
一方で、アートとは表現それ自体だから、別に主張は必要ない。もちろんユーリ・ノルシュテインみたいに、言いたいことがあるアート系アニメーションの作家もいますけどね。
「新海誠が登場したとき、アニメの制作現場に動揺が走った」
押井:そして、もっと言えば「商業エンタメ作品というのはそれ自体が社会的行為でもある」と私は思うんですよ。お客さんに観てもらうことを含めた仕事=営利行為である時点で、商業エンタメ作品は社会性と切り離せない。そうした社会性をバックボーンに持っているからこそ、作品に主張とテーマがあり得る。そしていまのお客さんにヒットしないと意味がないから、どうしても時代性を背負うわけ。だから、商業映画っていうのはさ、『エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)』だろうがヘチマだろうが……ヘチマって言うのはあれだけど(笑)、必ず社会性と時代性を持っている。でもアート系アニメーションは時代を背負う必要がない。そういう違いが明快にある。だから、商業作品とアート系とでは同じアニメーション表現ではあるけど、アニメと実写、アニメと漫画以上に違う。単にジャンルが違うとか客層が違うとかじゃなくて、別の行為なんです。
でも、それを検証する場がいままでなかった。だからアート系作品と商業作品の両方を対象としたこの『新潟国際アニメーション映画祭」、アジアどころか世界を見ても似たものがほとんどない催しだと思いますよ。一応、『アニー賞』や『アヌシー国際アニメーション映画祭』はあるけど、やっぱりどこかアート寄りなんですよね。私が原作・脚本を担当した『人狼 JIN-ROH』っていう作品がアヌシーにいったけど、あれは文芸っぽい要素が濃厚だったからであって、ギリギリなんじゃないかな。もし『人狼』が撃ちまくりのアクション映画だったらお呼びじゃなかったと思う。ましてや『エヴァ』だの『ガンダム(機動戦士ガンダム)』だのじゃ可能性もない。特にヨーロッパは、そういうアート系と商業作品を区別する意識が強いから。
https://www.cinra.net/article/202303-oshiimamoru_ysdkrcl >>28
意外と公式ツイッターの更新頻度も高いしね ジャンル関係なくフィクションって登場人物の誰かが不幸になったり困ったりしないと話が始まらないじゃん
誰かが苦しんで右往左往する様を観察したいという欲求=暴力性なんじゃないの その言い訳にすがりたく気持ちは
得にエンタメ創作にかかわった人間ならだれでもあるわな
「俺の作品が大ヒットしないのは世間が低レベルだから」って
まぁ実際あってるんだけど、それ言っても慰めにはならんわな アニメにアート性を求めてる人なんておらんと思うな
結局はエンタメでしょうに エンタメに留まらない何かを望む硬派おっさんどもを排除しないとな >それは映画も同じで、ネガフィルムが残っているだけで2年目以降は資産とみなされて税金がかかるから、配給会社がいらないと判断したものはどんどん廃棄される。
もったいないよね わかる
性癖異常者が作ってるのがまるわかりなのは今の世界的に珍しいのでは? >>34
そんな事ないけどな
少年ジャンプは売れるけどガロは売れない
でもガロの作品も精神性もめちゃくちゃ重要で素晴らしいじゃん
そういう差なんじゃないの イノセンスは改めて見ると面白かった
初回は?が多かったけど 押井守のこのインタビュー記事は興味深かったけどスレタイのは生(エロス)と死(タナトス)が文化の本質って
大昔から言われてるでしょ それはアニメに限らずだろ
この世のすべてがエロとと暴力で成り立ってる 押井守はいつから批評家になったんだ、もう映画作らないの? >>50
あれもツカミは戦争だったしな
農業編は面白いけど、戦争編の方が好きだって人も多いだろ しかしあまりエログロだと規制されるし見る人も減る
匙加減と見せ方が難しいね >>16
作品内で金持ってるの見ても満足しないだろ ちいかわとモルカーは違うだろ
てめえの見識の狭さを恥じろ ひろゆきはこの区別が気に入らないんだな
ただつまんないだけなのにアートって言い訳するなと 結局批評家がドヤ顔でありがたがる作品は売れないんだよ
そしてボランティアでやってる訳じゃないんだから、
売れる作品の方がいいに決まってる
売れない作品は不要
鬼滅の刃の劇場版が売れた時、
押井守タイプの批評家は皆口を揃えて言っただろう
あれはエンタメであっても芸術ではないと
でもそれでいいんだよ
ビートたけしだって「お前の映画ちっとも売れねえなw」
と言われて「うるせえ!だったら売れる映画撮ってやるよ!」
とブチきれて座頭市を撮った
結果座頭市はビートたけしの一番売れた映画になった 最近ヒットしてるアニメはこの2つを排除して漂白したもののほうが多くねぇか >かわいい女の子だったり、戦争だったり、ロボットだったりがでてくる。
コードギアスのことですね >>58
ちいかわめちゃ暴力の漫画じゃん
モルカーはかわいい 富野なら「興業」という言葉を使ってもっと短く言う気もする
そうでもないか ジブリですら半分以上の作品が「暴力」をエンタメに利用してて
全ての作品が「女の子の可愛さ」を前提に成り立ってる
あのジブリですらだ ネトウヨがアニメ好きな理由がまさにこういうことだと思うわ アートはエロと暴力だろうがw
こんな事いうから高畑勲にぶち切られるんだよ そういう押井本人はエロいキャラ作れないよな
お禿は無意識にエロくなる 批評が存在しないのはその通りだと思う
それで最初のガンダムをどう批評するんだろうか >>72
高畑勲がエロと暴力から解脱した作品を作ろうと模索した結果が
山田くんとかぐや姫
結果はジブリの経営を傾けるほどの大爆死だったわけだ まぁ外野から見てもまともな批評が無くてすぐ消費されてくだけのアニメ業界って
やり甲斐に乏しそうだなぁって常々思ってたけど内部も当然そういう認識だったのね
アニメに限らずブログ登場あたりからどんどんそうなってはいったけどね
やりがいとしてSNSに活路を見出すのは当然の流れだと思った 近年の商業アニメはエロと暴力の担い手が特権的立場の男性視聴者になっているものが多いから
そもそもこういう批評を当てるのが難しくなってるんだよな
作品の内部に批評の対象が表現されてない、言い換えると作中ではエロや暴力を極力回避していて
実社会でキモオタが作者や声優に性欲と理不尽な要求をぶつけているので、その「社会現象」を見つけて批評しないといけない 作ってる自分達と同じ熱量で語れる人間のあまりの少なさに絶望するんだよな >>73
無意識ではない
富野はめちゃくちゃエロい
ただし観客ウケというより、富野の欲望により
富野のフェチズムが強く反映された女キャラがいないと
富野の創作意欲が上がらない
ラライヤもアイーダも、俺らからしたらただのキチガイだが
富野はああいう女のオマンコをなめたいんだ > 「同じ業界の人間を悪く言うな」っていう暗黙の了解があるアニメ業界の特殊事情も含めてね。「いや、悪く言いたいんじゃなくて評価したいんだ。批評したいんだ。もちろん褒めるところは褒めるんだ」って言ったんだけど、そしたら「褒めるのはいいけど、貶すのはやめろ」って言われる。「貶すんじゃなくて評価したいんだ」ってことなのに。つまり、批評ってものが存在しない世界なんですよ。
これは確かにある
ここを克服しないと発展しない 批評がない世界だから売上だけでしか評価の基準がないんだろうな ソース読まずに書くがミスター味っ子やキャプテン翼は? エロ・グロ・バイオレンス
セックス・ドラッグ・ロックンロール
努力・友情・勝利
大昔から言われてるテンプレなぞってるだけでこれは批評とは言わないんじゃね >>84
キャプテン翼はある意味メチャクチャ暴力だろ 本当にクソだよな
今さらこんなこと言って警鐘鳴らしてもこの業界衰退していくだけだし 押井の言うことは正論だけど今更言うことか?
アートアニメとか一般のアニメファンは知識すらないだろう
せいぜいがファンタスティックプラネットとかアニマルファームくらいで 富野は大河原邦男のデザインは絵としては嫌いだみたいなことを本に書いてる
大河原は富野さんが好きなのはサグラダ・ファミリアのようなデザインみたいなことを言ってる
後者は批評になってると思うし、さすがだと思う > 作画とかアニメーターを評価しない。
今はいないの?昔は作画監督やアニメーターさん個人の技術とか結構話題にしてたけど 通俗と純芸術とか似たような馬鹿な議論が昔からあるけど押井のこの話はそれより浅ましいな
商業エンタメでもお涙頂戴の感動モノ、ホラー、ギャグだとかバリエーションがある >>88
これを「今更言わなければいけない」っていうのが現状ってこと。 まあここ20年ほどの押井作品はエンタメとしてもアートとしても両面で失敗ばかりなんですけどね 全部エロと暴力だとB級作品と言われるので全体の2/3ぐらい謎なカメラワークとわけのわからないセリフ(オリジナル要素ではなく出典があるといい、要はパク…オマージュ)を入れておく >>100
確かに・・・サザエさんはエロ暴力要素がないな >押井:これは関係ないけど、最近のニュース番組でレオパルド2なんて戦車の名前が出るようになっていてたまげたよ。20年前だったらありえないよね。私は軍オタだしプラモデルもやってたから「あ、これはレオパルド2のA4だな」とかわかってたけど、戦争が起こるとさ、戦車の名前や軍事用語を普通の番組で使うようになるわけだよね。「反転攻勢」なんて言葉をアナウンサーが言うんだって驚いた。ウクライナが停戦になったらみんな綺麗さっぱり忘れるんだろうけどさ。戦車と自走砲の区別もつかない世界にいつ戻るんだろうって。船だって砲台がついてりゃみんな戦艦って言うじゃん。いや、これは本当に関係ない話だな(笑)。
せんちゃみたいなことゆってて草 批評家にでも転向したのか
こういう風にベラベラ語っても世界で評価される作品は作れないんだから意味ないな 風立ちぬを老人の妄想みたいに言ってたが、それは否定しないが、外国にはこれはミヤザキ監督なりに日・独・伊というかつて世界を敵にまわして戦った国々を、興味本位でもなく大きく持ち上げることもなく描いた稀有な作品だという人もいる
あの時代、ドイツにもイタリアにも、連合国側の各国にも、たくさんの「ジロー」がいたのだということを読み取るべき作品だと >>102
入浴シーンはエロ以外のなにものでもないだろ そらそうよ
アニメにかぎらずほとんどのエンタメはそれ >>112
ヒロインが美人な時点で性欲で釣ってるからな パーフェクト・ブルーやA KITEやMEZZOがカルト的人気はそんな事なんだろうな ネガフィルムが資産とみなされて税金かかるから消すって、文化を消すための税金があるってこと? んーとね
>>1
わんこがワンワンいっているのはわかった アニメにかぎらずエンタメってのはエログロナンセンスをどう見せるかに尽きるよ 製品名だすとダメだったよな
アパッチと書いたら編集部に武装ヘリに訂正されたというのは聞いたことがある > さすがに「何にも言いたいことないけどつくりました」という作品はなくなってきて
いやあ多いぞw なんの批評もされなかったゴミレレコは哀れに思ったなあw
富野作品の批評はキチガイ信者が怖くて誰も出来ないすごいすごいだけw あれこれほぼ嘘じゃん
最初新海誠が出てきたときの評価はぼちぼちだったぞ ちゃんと全部読んでやれよ
押井が言いたいのはそこじゃなくて
ロクな批評もなくアニメ作品が消費されていくのを憂いてるんだぞ 押井の作品は何かありげに進むけど結局中身なんて何も無いすっからかんなんだよな
エヴァもそうだけど思わせぶりなだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています