1995年に起きた国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁の特命捜査班が事件の時効約1カ月前の2010年2月から複数回、参考人として事情聴取した元自衛官の男性(49)が毎日新聞の取材に応じ「事件当日、『狙撃犯』を名乗る知人の逃走を手伝ってしまった」と証言した。男性は当時の聴取に事件への関与を否定したが、昨春以降、取材に応じる中で「狙撃犯」の死期が迫っているとして口を開いた。今月で事件発生から28年。多くの謎を残す未解決事件の新証言となる。

長官狙撃事件は、オウム真理教の信者による地下鉄サリン事件から10日後の95年3月30日朝に発生。警視庁は公安部主体の捜査本部を設置し、教団による組織的テロとみて捜査を進めた。これに対し、捜査1課を中心とした刑事部は、01~02年に大阪市と名古屋市で発生した現金輸送車襲撃事件で逮捕され、強盗殺人未遂罪で無期懲役が確定した中村泰(ひろし)受刑者(92)の関与を疑った。しかし、立件には至らず、10年3月30日に当時の殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた。

複数の捜査関係者によると、警視庁は長官狙撃事件の時効まで2年を切った08年5月、中村受刑者を本格的に取り調べるため、刑事部と公安部から捜査員を集め10人程度の特命捜査班を発足。受刑者は任意の事情聴取に「国松元長官を銃撃した」と「自白」し、特命班は事件に使われたとみられる拳銃と同型のものを受刑者が87年に米国で購入していたことなどを裏付けた。

一方、中村受刑者は「現場の下見や逃走などで支援役がいた」とも供述したが、支援役が誰かは「同志を売ることはできない」と明かさなかった。受刑者にはオウム真理教との接点はなく、教団によるテロとの見立てを維持する捜査本部からは特命班に「支援役の割り出しができなければ受刑者の逮捕は認められない」との条件が出された。

特命班は受刑者の交友関係を洗い出す中で元自衛官の男性を割り出し、10年2~3月、男性から複数回任意で事情を聴いた。男性は逃走支援を含む一切の関与を否定し、特命班は時効までに支援役を特定できなかった。

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