家康は桶狭間の戦い後に殺害され、別人と入れ替わっていたのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20230325-00342259

大河ドラマ「どうする家康」では、家康が普通に頑張っているが、実は桶狭間の戦い後に殺害され、別人と入れ替わっていたという説がある。それは事実なのか、考えることにしよう。

 戦国武将の影武者の存在については、武田信玄の影武者が弟の信廉だったなどの説がある。徳川家康についても同様で、明治時代に家康が途中で別に入れ替わったという説が唱えられ話題になった。

 明治35年(1902)、村岡素一郎が『史疑 徳川家康事蹟』を民友社から刊行した。この本では、徳川家康が若い頃に不慮の死を遂げ、別人が入れ替わったとの衝撃的な説が唱えられた。

 永禄3年(1560)12月4日、家康は尾張に侵攻し、織田信長に戦いを挑んだ。ところがし、翌12月5日、家康は家臣の阿部正豊に殺害されたというのである。