「ガイドにも伝わりますよね、『こいつはニセモノだ』って」死後も登山仲間たちが栗城史多を語りたがらない理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/7dc9d9a40ae5c5c7633d7eda20a17fe00c545df5

■「栗城が一人で死ぬ分にはいいけど、周りを死なせちゃいけない」

エベレストに出発する前、森下さんは栗城さんを酪農学園大学のトレーニング壁に誘ったという。ところが、

「あいつ、上まで行けないんですよ、1年生でも登れるのに」

その1年生も「テレビに出ている有名な栗城さんがこの壁を登れないなんて……」と困惑していたそうだ。

「その前は冬に羊蹄山(1898メートル)に行ったんですけど、
あいつ、ボクからどんどん遅れて、結局7合目ぐらいで下りることにしました」

リベンジを口にしながら、栗城さんは技術も体力も前年を下回っていた。

「1回目にあれだけ悔しがってたのは何だったの? 今まで何してたの? って……呆れましたね」

好条件さえ揃えば登頂できるかも、という森下さんの希望的観測には、
現地に行く前からすでに暗雲が垂れ込めていた。

(中略)

このときの遠征で、栗城隊には「不幸」があった。
私はこの事実も、栗城さんが亡くなった後に知った。

カトマンズからルクラの空港へと飛び立ったプロペラ機が墜落し、
乗っていた栗城隊のシェルパが死亡したのだ。
前年登頂を断念した栗城さんをエベレストのC2付近で救助した、テンバさんだった。
栗城さんは次の便に搭乗予定だったが、強風により欠航となり無事だった。

テンバさんはダウラギリでも栗城隊をサポートした。
BC(ベースキャンプ)マネージャーだった児玉毅さんによれば、
「栗城君と同い年で、献身的で強いシェルパだった」という。

(中略)

■周囲が絶句した栗城さんのツイート

「栗城は泣いて、テンバさんの奥さんに『これからずっと面倒見る』とか言って……
たぶんお金も渡したと思うけど。ボクらもこんな経験初めてだから、
どうしたらいいのかわからなくて……。そしたら、あいつ、ツイッターで呟いたんですよ……」

これは河野さんも知っているかもしれないけど、と森下さんは私を見た。
知らなかった。
この原稿に残すのも嫌な言葉だが、ネット民を騒然とさせた事実だそうなので、書く。

「一言叫んでいいですか? うんこ、って。うんこ、たべたい……って」

栗城さんがそう呟いたのはテンバさんの死から四日後の夜だった。
その翌日、スマートフォンを手にした栗城さんは森下さんに興奮した口調で言った。

「森下さん、きのうの呟き、すごい反響ですよ!」
「え、なんて呟いたの?」
 
返ってきたその答えに、森下さんは絶句したという。

栗城さんに寄り添って事態を解釈すれば、
彼は親しかったシェルパの死に精神のバランスを崩していたのだろう……しかし……。

「そんな隊長についていく隊員なんていませんよね……」