https://yomitan-sonsi.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec05/cont00/docu183.htm

三千町歩の地主になれるという話は嘘ではなかった
開拓とは元々住んでいた満州の人々の土地を奪って準備されたものであった。
広大な沃野に散在する(中国人の)農家はガソリンをかけ焼き払われ土塁の中に囲われ、そこに生じた広大な農地が「満州開拓」のために準備されていた。

満州に着いたその日に三八式小銃と弾50発を渡された。

先遣隊だけだった頃には匪賊(土地を奪われた中国人)を殺して生首をぶら下げてた。

このような振る舞いがソ連侵攻後、散々押さえつけてきた満州の人々の激しい報復行動ととなって、主に開拓団の女性に(自粛)


長野県阿智村満蒙開拓平和記念館
https://www.manmoukinenkan.com/history/

1936年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となります。
疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に推し進められましたが、
背景には「満州国」の支配、防衛といった軍事的な目的もありました。
日本の戦況悪化、ソ連軍侵攻。結果として、約27万人の開拓団のうち約8万人がなくなったと言われています。

満州開拓団の実態はHPでは触れていないようです。


満蒙開拓平和記念館ボランティアガイド
満州の地は無住の地ばかりではなく、先住の人が土地を耕していたところを安く買い上げるなどして、すでに家も畑もあった開拓地が多くあり、
追い出された中国人を労務者・小作人として使っていました。
当然憎悪を生み、敗戦時その悪い感情は開拓民に向けられ多くの犠牲者を生むことになります

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