3.
「ドビュッシーは『印象派』ではない」というレスもよく見る
作曲家本人が印象派との定義を否定しているぞと

だからなんだろう

印象派という用語は美術に限って用いられるべきとも…ごもっとも
でもドビュッシーを印象派と捉えることは
そんなにおかしいことなのだろうか

本人が否定しているから違う…では満たされない問いがなおありはしないか
むしろ本人自らわざわざ否定を言及したことこそ
「影響」と捉えてはいけないだろうか

19世紀後半のパリに
絵画と音楽と(あるいは他分野と)を貫く「衝迫」があって
そこにたまたま「印象・日の出」と「印象派」展が生まれたとしたら

そしてそのような「衝迫」仮説の仮名として「印象派」を捉えるほうが
ドビュッシーとその音楽のためになるのではないだろうか