島津義弘「2千軍で10万軍に勝ちました」 さすがに盛りすぎだよな… [966095474]
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泗川の戦い(しせんのたたかい)は、文禄・慶長の役における合戦の一つ。日本の慶長3年/明の万暦26年9月(1598年10月)、朝鮮半島の泗川で島津義弘が率いる島津軍2千が明の武将董一元の率いる10万の明・朝鮮連合軍と戦って撃退した戦いである。
絶望的な戦力差があったにもかかわらず、劣勢な島津軍が勝利した伝説的な戦いとして知られているが、明軍の数および死者数については資料ごとにかなりの差がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://imgur.com/LgrDWPk.jpg 10万はケンモメンみたいなやつらの寄せ集めだったんだろ チョンモジ「俺にとって都合の悪いことは改ざんしているんだ!」
😨😨😨 明側には資料残ってないのかね
王朝変わるたびに古い資料破棄されてたとか聞いたけど 戦争のやり方も知らない武器も持たない糞食い土人を虐殺しただけやろ 戦国時代さば読む事多かったみたいだし一万くらいじゃないの?
それでもすごいけど 遠距離で倒すにしても矢とか弾が何十万も備蓄されてるの? 泗川の戦いにおける明・朝鮮連合軍が、戦略も戦術もないただの烏合の衆に過ぎなかったということ 城?砦?ちっさすぎやろ
ラノベのコミカライズにありそな縮尺やな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています