樋口中将は同県南あわじ市の出身。ユダヤ難民の保護は、1940年に杉原千畝がリトアニアで発給した「命のビザ」が知られるが、樋口中将はその2年前、シベリア経由で「満洲国」に逃れてきた難民を、難色を示す政府を説得して受け入れた。一説には2万人が助かったという。

また終戦時には、大本営の停戦命令下にもかかわらず南下するソ連軍を撃退し、北海道占領を阻止したとされる。本名宮司は「どちらの判断も国際情勢に精通し、優れたバランス感覚を身に付けていたため可能だった。樋口中将は特務機関やポーランド公使館付武官などを歴任し、長年、外交や諜報活動の現場にいた」と分析する。

戦後、ソ連は樋口中将を戦犯に指名したが、アメリカは拒絶。この背景には樋口中将に助けられてアメリカに逃れたユダヤ人の強い働き掛けがあったといわれる。

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