その後、昭和50年に上京して、住み込みで靴屋の店員になった私は、学生運動をしている同世代のお客さんと仲よくなった。
そして、「デモというものに参加してみたい」と言ったら、まあ、彼らの喜ぶまいことか。

 けど、結局は行かなかったの。質素な木造アパートに住んで、身なりも粗末なその学生運動家のカップルに聞いたら、彼女は月に10万円、
彼だって8万円の生活費を親から送ってもらっていたんだもの。住み込みで月に4日しか休みのない私の月給は額面で7万5000円。いろいろ
引かれたら、手取り2万円にもならない。それで「あなたみたいな労働者と共闘したい」と“世界革命”を語られてもなぁ。

 昭和ヒトケタ生まれの中年リベラル派と知り合ったのは、ライターになったばかりの20代の頃だ。自民党政権や自分の親・親戚を悪しざまに
言うのは若い世代とそう変わらないけれど、ひとしきり毒を出すとなぜかお次に出てくるのは家柄自慢なの。酔うにつれて「世が世であれば」と何度聞いたかしら。

 そうなんだよねぇ。私の前に現れたリベラル派は全員、大卒か大学中退だったの。おかげで「ふん。親のすねかじりが!」というヒガミ根性が
すくすくと育つばかりで、自分ではどうすることもできない。

 で、66才になってわかったのは、結局人は生まれ育った環境で世の中の見え方がまるで違うということよ。植物がどこに種が落ちたかで枝の
伸び方や花つきが変わるように、人間もそう。
https://www.news-postseven.com/archives/20230416_1859421.html/2