【悲報】哲学者「哲学はほとんどの人には、役に立たないどころか害。生きるうえで必要な知識など何も与えてくれない」 [284093282]
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「哲学は万人に必要」は、マヌケな幻想だ
ほとんどの人には、役に立たないどころか害
生きるうえで必要な知識など何も与えてくれない
まず強調したいことは、本塾の設立趣旨は、「とにかく多くの人に哲学を学んでほしい」というものとは限りなく遠いということ。哲学など学ばなくて生きていければ、それでいいのです。
私はこれまで50年にわたって哲学に関わってきましたが、「哲学は万人にとって必要だ」と考えたことは一度もありません。
ですから、そうもっともらしく語る人をちらほら見かけますが、哲学とは何かまったく知らずに、いや知ろうとせずに、
勝手に自分が思い描いている『哲学』という美名についてベラベラ喋っているだけなのだと思い、全身鳥肌が立ってくる。軽い殺意さえ覚えます。
哲学は、ほとんどの人にとって、まったく必要ない。生きるうえで必要な知識など何も与えてくれません。
そこで「いや、すぐには役に立たなくても、人生やこの世界についての根本的な真理を明らかにしてくれるんではないですか?」としたり顔に答える輩は、本当に殺したくなる
……というのはあくまで比喩的表現で、「バカモノ!?マヌケ!?アホ!?シネ!」と叫びたくなります。
しかし、きわめて紳士的な私(?)は、そう思うだけであって、叫ぶことはない(つまり、「心の中」で叫んでいるだけ)。
しかも、こういうマヌケ発言は、(いわゆる)インテリや、(いわゆる)社会的成功者や、(いわゆる)文化人や、(いわゆる)一芸に秀でた人の口から出ることが多いので困りものです。
先日も、ある有名画家の個展を訪れて、私の新刊書を手渡したところ、それをぱらぱらめくりながら、「みんなもっと哲学をしたら、社会はもっとよくなるのに」と彼がほそっと呟いた。
一瞬、弾丸を浴びたようで、「はぁ?」と思ったのですが、「いいえ、社会ははるかに悪くなると思いますよ」と答えました。
http://toyokeizai.net/articles/-/89938 まあでも、哲学は生きるのにめっちゃ役に立つ仕事や出世にも役に立つとかいう哲学者って嫌じゃね
>>33
永井均はガチだとみなされてるはず
独我論の研究者だけど
『何故人を殺してはいけないのか』とか >>118
思いつかなくても、もし言われたら「そんなこと考えたって仕方ないじゃないか」とか「何青臭いこと言ってんだ」と一蹴して、まともに考えようとはしない人が多いんじゃないかな。 >>112
長文書いてるけどどうせ死ぬから全て無意味って言いたいだけだろ
幼稚なおっさんだないや爺さんか?
自殺すればいいのに
>>84
あいつの肩書きは「左翼」だったはず >>122
中島は自殺には否定的だよ。
中島義道先生が贈った卒業生へのはなむけの言葉
https://ikenosai.exblog.jp/28011128/
学生諸君に向けて、新しい進路へのヒントないしアドバイスを書けという編集部からの依頼であるが、実はとりたてて何もないのである。
しばらく生きてみればわかるが、個々人の人生はそれぞれ特殊であり、他人のヒントやアドバイスは何の役にも立たない。
とくにこういうところに書き連ねている人生の諸先輩の「きれいごと」は、おみくじほどの役にも立たない。
振り返ってみるに、小学校の卒業式以来、厭というほど「はなむけの言葉」を聞いてきたが、すべて忘れてしまった。
いましみじみ思うのは、そのすべてが自分にとって何の価値もなかったということ。
なぜか? 言葉を発する者が無難で定型的な(たぶん当人も信じていない)言葉を羅列しているだけだからである。
そういう言葉は聞く者の身体に突き刺さってこない。
だとすると、せめていくぶんでも本当のことを書かねばならないわけであるが、私は人生の先輩としてのアドバイスは何ももち合わせておらず、ただ私のようになってもらいたくないだけであるから、こんなことはみんなよくわかっているので、あえて言うまでもない。
これで終わりにしてもいいのだけれど、すべての若い人々に一つだけ(アドバイスではなくて)心からの「お願い」。
どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。
死なないでもらいたい。
生きてもらいたい。 >>121
そうだね
「それらの事柄がそもそも問い得ることだと思っていない人がほとんど全員であるように(自分が観察して想像した限りでは)見える」
と書いたほうが正確かもしれない
無論これも自分の思い上がりで
本当は心の奥底で格闘しているけど何故かそんなそぶりを見せない人も結構居るんだろうか
>>113
要素還元主義の行き詰まりが大問題になっているのにだいぶ楽観的やな
量子もつれとか既存の自然科学スキームでどう説明すればいいの
個人的には認知科学方面に期待してるけど 日本語がおかしいので訂正
>無論これも自分の思い上がりかもしれなくて 考えるのは良い事だけど考えすぎは良くないねっていうのが哲学に対する印象 >>124
なんで人生は無意味ってまくし立ててるくせに他人に生きろとか言うんだ?
中村の思考の軸がどこに有るのか分からん >>130
彼にとっては、死ぬまで悩み続けるのが「良い人生」っていう美学みたいなものなんだろうなと解釈してる 哲学が役に立たないということに通じる話は他の本でもよくしてる。
たとえばこれ↓
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どうも哲学というと高級だという観念をもつ人が多くていけない。
だから、女性に哲学者がいないと言うと、本気で怒る(とくに知的な)女性が少なくない。
だが、哲学は下品なものなのだ。ワイセツなものなのだ。
それは、生物としての人間にとっては随分不自然な営みである。
一つのわかりやすい説明を。電車の中で男の尻をさする女性は皆無ではないがきわめて少ない。
男のパンツを盗む女性も少ない。男子用トイレにカメラを仕掛ける女性もあまりいない。
男の前で突然性器を露出して快感を覚える女性もまずいない。
男以上に残忍な女性権力者が史上少なくなかったにもかかわらず、いまだ何百人の男たちを
「蓄えておく」ハーレムを造営した女帝を知らない。
つまり、女性は現実的な性にしか興味がなく、精神的にせよ肉体的にせよ具体的な性行為に
直結したものにしか興味がなく、総体としての「生身の」男にしか興味がなく、またそのつど一人の
男にしか興味がないようなのだ。
以上のことは重要なヒントを与えてくれる。哲学がワイセツに思われる(これは私の実感である)
秘密もこの辺りにあるのかもしれない。
生殖を伴う(そして、できれば愛を伴う)性行為から離れれば離れるほどワイセツな感じがつきまとう。
それは、無用という感じと至近距離にある(だから、人間以外のいかなる動物もワイセツではない)。
男のズボンの中を盗撮する女性がほとんどいないように、男が排泄するシーンに興奮を覚える
女性がほとんどいないように、哲学する女性はほとんどいない。
逆に言えば、女性達はこういうワイセツ行為に欲求を覚えないように、哲学に欲求を覚えないのだ。
中島義道「生きにくい・・・私は哲学病。」 この人にとっては哲学=死について考えること、で必要十分なんだろうけど
そうではない哲学もあっていいのでは?と思っていた 哲学激弱のジャップ国が曲がりなりにも先進国ヅラできてるのがその証 まーガチガチの論理学の哲学とまではいかなくともきちんとした価値観構築しとかんと
ほんとに辛くなったときに精神的に地獄を見るからな~
>>130
夢みてーな綺麗ごと言って取り繕ってねーで
現実を直視して少しでも己の人生を有意義なもんにしろよってことやろ
何をどう言おうが無意味だから好きに気楽に生きろやって解釈してもええやろな >>135
でもさあGDP1位のアメリカの内情が治安崩壊してオーイエープッシーだぜ?
あの国の国民がまともに哲学してると思うか? どんな生き方にだって哲学はあるでしょ
それがなかったらただ生きて食って寝てるだけと変わらん 哲学も数ある娯楽・趣味の一つと思えばしっくりくる。
ある人はスポーツが好き、ある人は映画が好き、ある人は音楽が好きなのと同じように、ある人は哲学が好きというだけ。 哲学を持つ人間が日本社会で苦難の道を歩かされるのは紛れもない事実だからな
だから平凡に生きたいと思ってる人間にとって哲学など有害でしかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています