弱者をバッシングする「弱者」 「ひろゆき論」書いた大学教授の警鐘

◆「真の弱者」は、バッシングなどをする当事者たちの自己認識を推測した表現です。
彼らの多くに、「反・反権力」とでも言うべき思考があるのではないかと考えています。
たとえば、フェミニストへのバッシングは、単に保守的な男性による女性への抑圧とだけ理解されがちですが、
実はこの男性は2種類います。「強者男性」と「弱者男性」です。

まず、保守政治家ら実際に権力を持つ「強者男性」が、女性の権利主張を格下の人間の越権行為とみなす。

――これは残念ながら、ずっとある話ですね。

◆他方、社会的立場が不安定だったり、恋愛が苦手だったりして、自分が女性よりも「弱者」だと信じる男性たちがいます。
その一部は、電車の女性専用車両さえ「特権」と誤認し、フェミニストの主張などに
「本当は強者である女が、弱者を詐称してさらに権利を要求するのが許せない」と憤り、バッシングに走ります。

――つまり、実際に権力を持つ者ではなく、権力に抵抗する側こそが不当だと腹を立てている?

◆マイノリティーなどを「自らが弱者だと不当に主張して利権を得る人々」だと思い込んでいる、と言ってもいいでしょう。
主観的には、持たざる自分たちが持てる「強者」と闘う、いわば「階級闘争」をしかけているわけです。
この構図で、高齢者や生活保護受給者、性的マイノリティー、在日コリアンから沖縄の反基地運動まで、
あらゆる弱者や反権力的な運動が、にせの弱者だと批判されてしまっています。
https://mainichi.jp/articles/20230420/k00/00m/040/127000c