300年前の「4%増税」に反対、処刑された51人 供養続ける人々

「日本三大一揆」の一つとも言われ、約300年前の江戸時代に津山藩で起きた山中(さんちゅう)一揆。鎮圧後に処刑された51人を供養する「山中一揆義民まつり」が5月3日、真庭市禾津(いなつ)の義民の丘で、4年ぶりに開かれる。増税に反対する農民らが起こした一揆で、地元では村のために命をかけて立ち上がった51人を「義民」として供養を続けている。

 義民まつりは地元の有志らでつくる「山中一揆義民顕彰会」の主催。まつりは1982年に始まり、2019年に38回目を開催した後、新型コロナウイルスの影響で中止していた。

 山中一揆は1726(享保11)年から翌年にかけ、現在の真庭市北部から新庄村にかけての山中地域を中心に起きた。当時は冷害や洪水、干ばつなどの天候異変で農民の生活は貧しさと飢えの極限に追い込まれていたという。

 このような状況下で、津山藩による年貢の取り立てに苦しんでいた農民らは、4%の増税に反対して集結。その数は4千人とも6千人とも言われている。藩との交渉で増税中止や村役人の罷免(ひめん)などを勝ち取り、いったんは農民側の勝利かと思われた。

 しかし、騒ぎが続き、藩が派遣した部隊が一揆を鎮圧。首謀者の徳右衛門は義民の丘近くの農家で捕らえられ、1727年5月2日に津山城下を引き回しのうえ、はりつけの刑に処せられた。結局、江戸時代の百姓一揆としては最大規模の計51人が処刑された。

 真庭市の各地には処刑された人たちの墓や供養塔がある。1982年には義民の丘に51人全員の名前や処刑日などを刻んだ慰霊碑を建てるなど、史実が地域で受け継がれている。

 顕彰会と市によると、義民まつりの会場の義民の丘は、米子自動車道・湯原インターから車で約5分。今年は51人の慰霊法要をした後、参列者らが地域の安全や平和、健康などを祈願する。会場ではミニコンサートやお茶席も設けられる。

 山中一揆の歴史に詳しい真庭市湯原振興局の坂田崇さん(53)は「約300年前に、みんなのために立ち上がった人たちの思いを忘れないでほしい」と話す。

 顕彰会の会長に2年前に就任した浜子尊行(はまごたかみち)さん(72)は「この地に自分たちを犠牲にして農民を守った先人たちがいたことや、義民の精神を次の世代に伝えていきたい」と語った。
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