ところでなんで60年代の学生運動の話をするときに共産党の名が出てくるんだ?
ベトナム反戦・全国学園闘争を牽引したのは新左翼・全共闘の学生であり、一方の共産党・民青はなんの影響力も持たず、むしろ全共闘を「暴力学生、トロツキスト」と罵り、徹底的に排除しようとした。
当時、全国的に新左翼系で武闘派の全共闘と共産党系で反武闘派の学生組織・民主青年同盟(民青)は闘争方針をめぐって完全に敵対関係にあった。
そうしたなか全国の大学で学生の闘争の炎が広がると、なんと暴力反対のはずのあの民青が「大学から暴力を追放し正常化するための行動」と称して、黄色のヘルメットをかぶった「全共闘つぶしのためだけの暴力部隊」(通称:あかつき行動隊)を各地区で組織して、政府・自民党や大学当局の尖兵として傍若無人な学生運動破壊につきすすんだ。これがすべて。
断じていうが、60年代の学生運動と共産党は関係ないし、むしろその破壊者だった。
そのあたりの経緯を詳しく知りたい人には、故・宮崎学(東大で民青の反全共闘・暴力部隊のリーダーを務めていた)の著作などを参照してほしい。