10万人死亡「東京大空襲」の翌朝の政府「空襲は怖くない」「逃げずに火を消せ」頼もしい [771869708]
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1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。
現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。
この大惨事を受けて、さすがの日本政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや、そうならなかった。空襲の直後、西尾壽造・東京都長官(現在の知事にあたる)と坂信弥・警視総監も、都民にむけた告諭で次のように呼びかけた。
【東京都長官と警視総監の連名による告諭】
・罹災者の救護には万全を期している。
・都民は空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ。
「恐れるな」など無理な話だ。しかし、空襲による悲惨な被害実態はラジオや新聞で報道されず、「被害は僅少」という大本営発表が報じられたので、それを信じる国民も多かったはずである。
https://gendai.media/articles/-/54614
空襲の夜が明けて、東京に広大な焼け野原が広がった。この光景をみて直ちに、防空対策を担当する内務省が発した命令がある。
残念ながら、「避難せよ、身を守れ」という布告ではなく、科学的見地から「このように消火せよ」という指示でもない。空襲予告ビラを所持するなという命令であった。
空襲予告ビラとは、全国各地で上空から米軍機が散布したものである。時期により内容が異なり、1945年7月に散布されたものは、このように攻撃対象都市を列挙していた。
なお、ここに書かれた12都市は、1945年7月から8月にかけて予告通りに空襲を受けている(高岡市の空襲被災地域は現在は射水市内となっている)。
予告ビラが初めて散布されたのは、東京大空襲の1ヵ月前、1945年2月17日であった。関東から東海地方までの広範囲で、落ちたビラを恐る恐る拾ったという体験談が多く残っている。
この空襲予告を国民が真に受けると、不安や動揺が広がり、都市から大勢が逃げ出す事態が起きたり、政府批判・戦争批判の世論が高まりかねない。
そこで、憲兵司令部は火消しに走った。
「(ビラは)荒唐無稽だ」「敵の宣伝を流布してはならない」「発見したら直ちに憲兵隊や警察に届け出よ。一枚たりとも国土に存在させぬように」と発表し、それが新聞各紙にも掲載された。
ところが1ヵ月後の東京大空襲では、空襲予告ビラに書かれたとおり甚大な被害が出た。今後も空襲予告ビラの散布は繰り返されるだろう。政府としては「次はこの街が攻撃される」という動揺が広がるのを何としても避けたい。
そこで、東京大空襲の日に、「敵のビラを届け出ずに所持した者は最大で懲役2ヵ月に処する」という命令を定めてしまった(内務省令「敵の文書、図書等の届出等に関する件」)。 とんでもなく怖かったと思うわ
当時なんて夜中真っ暗だろーし 原発事故と同じやん
日本政府の言うことは信じるなということ 10万人の市民がジェノサイドされて何も文句言わないジャップ よく『アジア解放のために戦った』とか酔っぱらってる奴いるけどさ
当時の空襲の写真見て同じこと言えるのかね?と思う
苦悶の表情で焼け死んでる死体の山のどこに誇りがあるって言うんだ 雪が降ると大騒ぎするのに爆弾が降ると逃げるなと脅すんだよな >>12
でも世界は昭和天皇の玉音放送を聞いて余りの気高さに震えたから! アメリカ人「日本人に道徳的善悪の基準はない」
西欧化されても中世のように上に媚び、下を支配した
全ての面で女性の地位は低く、男性に従属
今日でも日本には道徳的善悪の基準はなく、ただ目上の者に従うか従わないかの違いがあるだけ
個人の幸福は問題ではなく苦痛こそが神聖
週72時間低賃金で働き、たいてい40才で結核で死ぬ ※ここだけは近代化できた
学校は子供の精神を育てるところではなく、政府が認めた事柄や思想のみが教えられる
教育の目的は同じ考え方をする子供の大量生産
子供は教えられたことを丸暗記して繰り返す
従順で均質の大衆を作る政治宗教構造 しょうもないことで大騒ぎして
大事なことで黙らせようとする
日本人の致命的な欠点だな 東京大空襲 3月10日 325機 8万3793人死亡
名古屋大空襲 3月12日 200機 519人死亡
大阪大空襲 3月13日 274機 3987人死亡
東京大空襲の被害の大きさは明らかに東京の県民性 確かに戦争中におきた南海トラフも隠してたんだよな
士気が下がるからって >>20
巨人の大爆笑の元ネタか。
辰徳監督ゴジ茂雄~ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています