2016年7月初め、キエフ市議会はモスクワ通りを「ステパン=バンデラ通り」と改名することに決めた。
激しい論争の的となったウクライナ人のナショナリスト、ステパン・バンデラ(1909~1959年)の名前から取ったものだ。
ソ連の支配に抗った「英雄」である彼は、ナチスによって少しの間捕まったものの、1941年6月と1944年の終わり頃には彼らの味方にもなった。
こうした名称変更の実施は2015年5月に作られた「脱共産主義法」の枠組みにおいて発表されたが、その狙いは、忍び寄るロシア政府の黒い影とソ連時代の遺産を退けることだった。
このキエフ市議会の決定によって、国境の反対側に位置するポーランドでは、いくつかの苦い記憶が呼び起こされている。

7月22日、ポーランド議会側は1943年に生じたヴォルィーニの大虐殺を「民族浄化」、「ジェノサイド」と規定する法律を圧倒的多数で可決した。
今日においてウクライナ北西部に位置しているこの地域では、第二次世界大戦中に4万人から10万人のポーランド人が命を落とした。
ポーランド議会によれば、彼らは「ウクライナ人のナショナリストたちによって無惨に殺された」という。
この大虐殺の当事者はステパン・バンデラが創設したウクライナ蜂起軍(UPA)の戦闘員たちに他ならなかった。
UPAは今日、国家の独立のために戦ったとしてウクライナにおいて称賛されている。
しかし、この軍はユダヤ人とポーランド人を虐殺した罪に問われたと同時に、一定の期間、みずから進んでナチスドイツにも協力した。

https://jp.mondediplo.com/2016/12/article733.html