自慰は男がするものにあらず!

古代ギリシャでは、売春婦からサービスを受けるのはまったく恥ずかしいことでなかった。多少の買春は、男らしさの重要な一面でさえあった。

婚外で性的な関係を持つのも不名誉なことではなかった。男がほかの男に欲情するのも恥ではなかった。とくに相手が美しい少年となればなおさら問題なかった(時代と都市国家によるが)。

ところが、自慰となると、この無害に思える行為がギリシャでは下品で、「他の輩」にしか相応しくないものと見なされていた。

なぜこの行為がいかがわしいと考えられていたのか、その用語がひとつのヒントになる。自慰を指す最も一般的な動詞は「デフェスタイ(やわらげる)」だったが、大半のギリシャ人にとって男の性的能力は本質的に力関係をめぐるものだった。

寝床ではけっきょくのところ、攻めるか受けるかしかなかった。それでいえば自慰は受け身な行為であり、身分の低い男たちやその他の「エンクラテイア(自制)」を欠いた惨めな者たちにお似合いのものだった。

社会で尊敬される身、つまり「真の男」としては、寝床で「挿入する」攻め役しか果たせないのだ。したがって、自慰(またはフェラチオやクンニリングスをすること)は自己去勢の行為と考えられた。

市民としてのアイデンティティが発達するにつれ、とくにアテナイでは、開化した文明の一員たる真の意味を補強することがますます重要になった。そこで自慰が文学や図像において、文明開化した者を野蛮人から分離させる要素のひとつとなったのだ。

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