>>118 磯部浅一
日本陸軍軍人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%AF%E9%83%A8%E6%B5%85%E4%B8%80 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/Asaichi_Isobe.jpg/200px-Asaichi_Isobe.jpg 一、天皇陛下 陛下の側近は国民を圧する奸漢で一杯でありますゾ、御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、今に今に大変なことになりますゾ
ニ、明治陛下も皇大神宮様も何をしておられるのでありますか、天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか
三、日本の神神はどれもこれも皆ねむっておられるのですか、この日本の大事をよそにしているほどのなまけものなら日本の神様ではない、
磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、そんな下らぬ神ならば日本の天地から追いはらってしまうのだ、
よくよく菱海の云うことを胸にきぎんでおくがいい、今にみろ、今にみろッ
—磯部浅一、八月六日
さらに「日本もロシアの様になりましたね」と昭和天皇が側近に語ったとの新聞記事を読んで磯部は激怒し次のように記した。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は 陛下をお叱り申上げるところに迄 精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄 陛下をお叱り申しております、
天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ、
—磯部浅一、八月廿八日
遺書は現在に至るまで見つかっていないが、2011年に看守に託した「正気」と書いた書が発見・公開されている[4]。
英霊漂ふ・・・~三島由紀夫自決・35年目の夢枕 - 報道の魂
https://www.tbs.co.jp/houtama/last/051204.html https://www.tbs.co.jp/houtama/img/photo/051204.jpg 三島由紀夫は先生である。ほとんど考えは一致しているのだが、こと2.26事件となると、くい違った。
三島由紀夫にとっては、青年将校は少年期よりの英雄である。しかし本多は、人を殺した決起を認めていなかった。
祖国を防衛するために楯の会に入ったのだ・・・。そんな言い分を直接ぶつけたことがあった。
2・26事件に入れ込んだ三島は、逆に、英霊たちに、魅入られた!少なくとも、美輪明宏はそう見ていた。
事件の年の正月、南馬込の三島邸で、美輪明宏は、三島の背後に青年将校の霊を見た!「磯部浅一」の霊。
死刑となった青年将校の中で、天皇陛下万歳を叫ばず、呪いの裡に果てた磯部。
磯部が憑いている。美輪が言い当てるのを本多は見ていた。
磯部の霊に突き動かされたからなのか。三島由紀夫自身も納得した。
青年将校の呪詛を描いた「英霊の声」では、三島の手は勝手に動いたと三島は語っている。
話を戻すと、2・26事件での見解の相違こそが本多が決起から外された理由だったのか。
それを問題にしたのは、三島なのか、あるいは、憑依していた磯部だったのか。三島に問いたい思いが募る。