父は急逝、母は下半身不随、弟はダウン症 家族を愛した岸田奈美の後悔

高1のとき母親が下半身不随になり、当時は「家族のいろんなことを抱えてしまっていた」という岸田奈美さん。デビュー作のドラマ化はそんな彼女の後悔も救ってくれました。(全4回中の2回)

【写真】プライベート感満載!岸田家のオフショット「家族の物語がドラマになるとは思っていなかった頃」など(全9枚)
■底から浮上するときにいろんな目線で考える

── 外から見ると悲劇的に思える出来事でも、岸田さんが書くと必ず笑いの要素がありますね。

岸田さん:「なんで私がこんなことにならなあかんねん」とか嘆きたくなるようなつらいことでも、いったん底の底まで行ってタッチすると、1周回っておもしろくなってくることってありますよね?底まで行けば、もうあとは浮上していくしかない。
その浮上の過程で、私の場合はいろんな目線で考えるんですよ。ダウン症の弟の目線、車椅子ユーザーのお母さんの目線、友達や今まで出会った人の目線。そうした違う目線で捉え直すと、自分の怒りがおもしろく見えてきたり、全然違う感情に変わったりする。

もちろん、渦中にいるときは生きるのに精一杯だからわからないんだけど、ちょっと時間が経つと、見え方も変わってくる。『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』も『もうあかんわ日記』を書いたときも全部そうですね。悲劇には絶対に喜劇も入っているので。
■ドラマのなかの過去に今の私が救われた

── ユーモアで包むからこそ、届く言葉や感情もあります。著書がドラマ化されますが、自分の家族がドラマになるのはどんな気持ちですか?

岸田さん:最初は「この日記的なエッセイ、物語としておもしろいのかな?」と思っていたんですよ。特に伏線等もないし。

でも、台本を読ませてもらったらすごく救われた気持ちになったんです。

私が「note」に書いてきた文章は、いつだって本音のつもりなんですよ。でも、そのときの自分では気づけなかったこと、書けなかったこともたくさんあって、2、3年経ってから初めてそのことに気づくんですね。自分のつらさで精一杯で、優しくしてくれた人への思いやりがたりなかったな、とか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/404c35d862a374ec0b05c9d5ceddf8006c97f9a9