これ、1979(昭和54)年1月26日。梅川昭美(うめかわあきよし)が、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入。客と行員、40数人を人質として立てこもり、警察官2名と支店長と行員、計4名を射殺。国内での人質事件で初の人質に死者が出た事件となりました。



大阪府警察本部は投降するよう交渉を続けましたが、発生から42時間後の1月28日、府警本部警備部第2機動隊・零中隊(現在のSAT)が梅川を射殺して幕引きとなります。