かつて暮らした埼玉県川口市を訪れたアハメット・カザンキランさん(57)の表情は、当時よりずっと穏やかだった。トルコ国籍のクルド人だが難民と認められず、日本から強制送還された。いまは難民として受け入れられたニュージーランドで、大きなレストランを経営している。

 1990年代から日本で暮らしたが、最後は心も体もぼろぼろだった。

国連に難民と認められるも強制送還

 トルコで少数民族クルド人の自治を求める運動をしたため、帰国すれば危険があるとして難民申請。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)にも難民として登録されたが、日本政府には認められず、在留資格もなかった。

 川口市では妻や5人の子どもも一緒に暮らしていた。交通事故にも遭い、後遺症に苦しんだ。深いしわが刻まれた顔はいつも怒っていた。

 トルコへの送還を迫られていたカザンキランさんは2004年の夏、東京都渋谷区の国連大学前で、別のクルド人家族と2カ月余り、座り込みの抗議活動をした。その翌年1月、20歳だった長男と2人だけ入管に収容され、すぐに送還された。家族は引き離された。

ニュージーランドで一軒家を与えられ

 カザンキランさんによると、トルコに着くと警察から6時間近くの取り調べを受けた。故郷に戻っても公安関係者から常に見張られていたという。「何をされるか分からず、怖かった」。2カ月後、日本人支援者らの協力でフィリピンに渡り、UNHCRの調整でニュージーランドに受け入れられた。

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