>>231
国内線用の旅客機の本格研究は新明和工業(旧・川西航空機)で始まっていた。
1956年(昭和31年)に運輸省が発表した「国内用中型機の安全性の確保に関する研究」の委託を受けて基礎研究を行い、
後にYS-11の設計に参加する菊原静男、徳田晃一が中心となって進められた。
この研究はDC-3の後継機種の仕様項目を研究するもので、
レシプロエンジン双発の第一案(36席)、第二案(32席)、ターボプロップエンジン双発の第三案(52席)、第四案(53席)の設計案が提案され、最適とされた案は第三案とされ、
その後のYS-11の叩き台となった[1]。