例の石棺ガチで卑弥呼ジャップの墓だったっぽい [444248185]
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>>458
群馬に巨大なクニの痕跡はあった
第二次大戦のドサクサで爆破されちまった 弥生人というのは朝鮮から船を使って列島に来て縄文人を追い払い植民をした
古墳時代になっても朝鮮からの植民は続く
朝鮮半島に弥生人の集落があってそこから定期的に人間を日本列島に植民させたわけ
つまり弥生人にとって本国は朝鮮半島で日本列島は植民地ということ
任那というのは本国に当たる可能性が高い 纏向遺跡では中国原産の桃を祭祀に使ってたんで当時最大だった纏向の勢力が大陸と交流してたことまではわかってる
そうなると「日本のルーツになった纏向勢力とは別に邪馬台国って小国が九州にあった」って立場の九州説も色々おかしくなるんだよ
強大な纏向勢力の話題が魏志倭人伝に敵としても味方としても登場しない説明がつかない >>704
戦乱で逃げ出したやつが
どうやって他勢力地域を制圧出来たの?
なろうじゃねえんだから >>708
魏志倭人伝に海の向こうにも倭人の国ってあるやろ
纏向が邪馬台国だと海の向こうなんて存在しない >>707
「高天原」とは何をモチーフにしているのか、という話だわな
ニニギが九州に天孫降臨してるのも、高天原=任那だとすると合点がいく 長さが180cmあるのに、幅が36cmしかない理由は、たんなる発注ミス。
石作りでもう作り直す時間なんてないから、斜めにしたり、腕を肩から切り取って無理やり詰め込まれている説。 太古は知らんけど
大陸から逃げ出したのが大勢力だったとしても
安全に上陸するのは難しいんじゃねえの? >>708
ももがなぜ倭国で「もも」と呼ばれるようになったのか
モモソ姫が由来なんじゃなかろうか >>709
そんなに制圧しなきゃならんほど栄えてたのか、湿地帯とか 元寇だって大勢力でやってきたけど上陸出来てないからな >>708
畿内がつるんでたのは呉
呉は滅んだので歴史から抹消された >>715
九州到着後、飲み水はどこにある食べ物の確保は?敵対縄文人勢力の調査
これらをこなす先遣偵察部隊と同胞弥生人を受け入れる港の建設
こられは必要
それなりに計画された弥生人による日本列島植民地計画があったと思われる 薩摩が琉球王国滅ぼしてるけど
友好的な顔でしれっと上陸すれば制圧出来るかも >>708
輸送と兵站考えれば奈良の勢力が九州まで派兵できるのは2桁がせいぜい
仮に九州にあったとした場合「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」程度の扱いでちょうど良いくらい >>399
その和人ってのが日本人のルーツだよ
なにいってんだよ
本当にバカなんだから そもそもにして、
魏志倭人伝書いた魏からして中国の統一王朝ではないし、
卑弥呼の没後10年ほどで国(曹国)としては滅んでる
そこから台頭した司馬氏によって中国は統一されるわけだけれど、
この習いに沿って考えるなら、卑弥呼が日本の統一王朝でなくても、
またその配下に王朝滅ぼされ、それが統一王朝を新たにつくった、でも不思議はない
卑弥呼後に何が起こってるか全くわからんのよね >>721
だからといって奈良に服属してなかったということにはならないやろ >>712
180×36なの?
それ人間が入れるサイズじゃなくね?
テレビ台のサイズだわ >>727
女のサイズってことやろ
ガリガリのおばあちゃんなら入る ガリガリのおばあちゃんのための石棺やな
卑弥呼の墓で間違いないわ 渡来系弥生人の平均身長は男性が163cm、女性が151cm。
縄文人よりもかなり高かった。
大陸から北部九州地方に渡来した人たちは日本に金属器と水田稲作農耕をもたらした。 極めて平均的な身長の弥生時代の女性の墓である可能性が高い >>721
東千余里だと出雲辺りかもな
同じ倭種とあるから黥面文身だったはずだし
纏向はさらに遠くて完全にレンジ外だろうな >>728
肩幅ギリッギリで足から下は余裕を持たせるスタイル?
ありえなくね?
石棺を作成するのにどれくらいの月日がかかるのか知らんけど、もうちょっと余裕を持たせるんでないのかね
現代の棺でも幅60×200くらいでしょ >>727
https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/06/20230610-OYT1I50026-1.jpg
奥に映ってる人が巨人なのかもしれんけど、実際、横に向けて突っ込まれたり、
凄い深さがあって、縦にして入れてるんじゃないかって位狭い。
大きな石くりぬきではなく、板状の石を組み合わせてるんだから、体にあわせて造っているんだろうけど
肩幅36cm以下は、女だとしても華奢すぎると思う >>734
デカい石蓋を用意するのがキツかったからギリギリを攻めたんやろ
代わりに縦に長くして副葬品はそっちに >>734
肩の所を広くとっている、所謂「棺」の型でもない。
発掘に携わってる人も、なんだこれ?っていってる。 >>709
日本神話のイナバの白ウサギ
あれが、逃げてきた大陸民を日本の権力者が助けたって話だと思う >>736
上から200kgの巨大石を被せてるのに? >>499
日本人自身がそれこそ日本書紀書いてた頃から
江戸時代中期まで1000年以上
「邪馬台=ヤマト」と当然のように読んでたんだけど
それだと天皇の祖先が中国に朝貢してたことになるので
皇国史観的に都合が悪いから
江戸時代後半の国学者が「ヤマタイ」ってよびだして
明治後とかにヤマタイ呼びしか許されない風潮になった
つまり皇室タブーの一種 ピラミッドみたいに昔のウイルスが検出されたりするのかな 偏狭な民族主義も絡んで面倒くさくなってしまった、畿内説、九州説の対立があって
九州説否定の根拠の一つだった、「吉野ヶ里には有力者の墓がない」を埋めるピースで
佐賀の方にも期待、バイアスかかってるから、ちょっとだけ割り引いて聞いておく位で丁度いい。 >>705
ww
そっからっすか?パイセン
ひょっとして文盲っすか? スモールサイズやな
権力者の墓らしきもののようだが
誰だかは不明か案外と子供だったりと 宗教的なあれで、腐る肉は不浄扱い
やんごとない人は火葬、鳥葬して、残った灰や骨だけ埋めていたとか、
ミイラ作っていたとかでなく、
あらかじめ穴の中に石棺を組んで、そこに亡骸を納める手順で埋葬していて、
いざ納める段になって、「いや、ちょっと狭すぎくね?」ってなってたんだと良いなと思う。 >>740
まことしやかに願望織り交ぜんなや
日本は金印幾つも送られている、グックランドとはまるで待遇が違うだろ 上に200kgの巨石+神社を建ててるんだから、とにかく祟りを恐れてたってことよね
祟るってことは無惨な死を遂げた高貴な人物なわけで、謎だらけよね
子供の墓説はアリだと思う
戦国時代なんか、子供も平気で嬲り殺しにしてたから >>747
金印贈られて喜んでる時点で格下の朝貢国ってことだろ何言ってんだ 紐なり棒なりをつかって、埋葬者の肩幅ぴったりの穴を掘らせて、
両側面に石を張る分の余裕をとってなかったDIY初心者あるある 発見が報道されたとき逆張りしてる奴沢山おったよなぁ?
もうすでに結論は出ていて墓は他人とか自信満々に語ってたけど今どんな気分?
自分の無能さや思考の柔軟性の欠如を突きつけられて無能に成り下がった今の気持ち教えて >>749
倭という文字がかなり見下してる呼称だかんね
非常に小さいって意味だわ
邪馬台の邪の字も卑弥呼の卑の字もそう 公孫氏政権とつながりはあっただろ
邪馬台国は公孫氏政権と頻繁に交易してる >>750
貴人の墓なら他の墓と分骨して埋めたりミイラ化して乾燥させたりとかそういう可能性もあるんじゃないの 2種類の粘土で封印とかかなり厳重にしてるところからも呪術的な要素が強い人物だったのではなかろうか 呪いで統治していた卑弥呼の身体が呪物と看做されて、
両手足頭胴の6等分にして埋葬されていたとかだと熱いよね。 やんごとなき家の子供、奇形レベルの小人
事故なりで死んだ欠損した亡骸を埋葬、取り返した元指導者の首を埋葬、いくらでも想像出来ちゃう。
副葬品はやくでないかな。 >>758
鬼道がなんなのか、不明なんでしょ
私は今でも存在する沖縄のユタ(シャーマン)的な存在だったと思うけど 屈葬の理由の一つに、死者の甦りを恐れてってのがあるね >>716
弥生以前にそんなに大々的に海外貿易なんかやってたのかねぇ
隣の部落との交易レベルなら判るけど
ましてやネトウヨが言うには、九州とか朝鮮半島とか無人の荒野だったみたいなー >>760
中国語で鬼は幽霊のことだからイタコじゃないの? 卑弥呼の遺体は久高島に流されたんだよ
琉球の創世神アマミキヨとは卑弥呼のこと ユタ、ゆんたくも、イタコ、イターも語源は一緒なのでは 流石に金属探知機とか使って土掘ったら金属性の物が出てくるか出て来ないかぐらいは分かってるんだろ
もったいつけてるなぁ >>749
ww
お前さん、中卒かチ ョン高かなんか? >>44
このレスに対して関東がどうのこうの言ってる奴らって脳みそどうなってんの
東という文字に反応して飛び上がる虫? >>708
桃が邪馬台国の根拠なら上東遺跡が邪馬台国だな >>172
文字がない文明はたくさんあったと思うけど、
アステカは文字あったよ >>762
大陸まで奴隷10人贈れる輸送力があるわけだから
海外交易やってないわけないじゃん
そもそも海外交易やってなきゃ大陸の情勢を知ることも魏に朝貢する動機も起きないだろ 卑弥呼様がカルトに支配された神国日ノ本の惨状をご覧になられたら何を思われるだろうな… >>44
親魏倭王の金印を貰ってるから
卑弥呼が正統な倭王で、東の国は賊軍 >>639
毛野国は大和国とは当時独立してたんだから、ちがう国だろ…
卑弥呼ともちがう、いろんな国が当時は日本各地にたくさんあったんだろ >>307
万葉集もあちらの言葉と言ってトンデモ解釈してる奴いたからなぁ
中日新聞も連載してたしe >>316
あんなウソが通用してた昭和w
名前からしてあっち系とわかりそうなもんだろうに 畿内の遺跡は明らかに新しい
1世紀ぐらいずれてるんじゃないの >>747
金印は中華から蛮族の王と認めてもらうものだから弱小国には欲しくてたまらないが強国には屈辱
現在の雲南省にあった誰も知らない小国「テン」も金印を貰った
豊臣秀吉は「日本国王」の称号を送られたが蛮族の王のことだと見抜いて怒った
最近だと1992年の天皇訪中の際に、中国は金印を天皇に手渡そうとしたが
天皇が中国に朝貢する蛮族の王だと認めることになるので日本側が阻止した
あーあ韓国にハンコ自慢できるから貰えばよかったのにw >>782
千葉県市原市にある神門(ごうど)5号・4号・3号墳は箸墓古墳と変わらない最古級の前方後円墳。土器も西方のものが検出されている。作られた時期は調査中の吉野ケ里の石棺とほぼ同じ時期ってことね
当時のヤマト王権の勢力はこのあたりに進出していたと見ていいだろう >>788
発足当初の新しい歴史教科書をつくる会なんかは邪馬台国についてはそういう感じの扱いだったよな
中国の歴史書に記載されたくらいで重視すべきじゃないとかそういう感じ >>748
卑弥呼って非業の死を遂げたような話があるみたいだぞ
魏志倭人伝に「卑弥呼以死」と書いてあるんだけど「以て死す」という書き方は何か通常の死ではない書き方なんだそうな >>789
www
朝貢を否定する気はない
が…
遣唐使も20回も満たない程度でやめてしまった背景は、行き先が滅亡ってより、もう既に「学ぶ」ものが大陸には無かったというのが真実だww
現チンク政権は「ちゅーごくよんせんねん」を標榜こそしているが、実質連綿とした文化の継承はない
高々、「建国100年」程度の新興国だよ?www
金印?
何を寝ぼけた事言ってんの???…ってのがジャップの見解だ
皇紀2682年は伊達じゃない
ちなみに印にゃ4つのランクがあって最下位は「石印」
グックランドがありがたく拝領していたもんは「石っころ」だ
気が済んだかい?ww >>793
四千年の歴史を持つ中国から1992年に天皇は金印もらえばよかったのにw
韓国に自慢出来るぞw >>793
金印は蛮族の王だと認めるしるしだから
必要があったのは蛮族で
現在の雲南省にあった誰も知らない小国「テン」も金印を貰った >>795
歴史
楚の将軍荘蹻[注釈 2]が遠征した時に、秦によって帰郷できなくなり、やむなく建国したとされる。
しょうがなく出来た国でワロタw >>794
さてさて
文盲とは思わなんだよ
ならばリフレインだ
www
朝貢を否定する気はない
が…
遣唐使も20回も満たない程度でやめてしまった背景は、行き先が滅亡ってより、もう既に「学ぶ」ものが大陸には無かったというのが真実だww
現チンク政権は「ちゅーごくよんせんねん」を標榜こそしているが、実質連綿とした文化の継承はない
高々、「建国100年」程度の新興国だよ?www
金印?
何を寝ぼけた事言ってんの???…ってのがジャップの見解だ
皇紀2682年は伊達じゃない
ちなみに印にゃ4つのランクがあって最下位は「石印」
グックランドがありがたく拝領していたもんは「石っころ」だ
気が済んだかい?ww
日本語おけ?www
マジモンかよ 畿内説に立つ場合邪馬台国の外港はどこになるのかな
瀬戸内まわりなら難波、日本海まわりなら若狭あたりなのか?
前者なら全然地形がいまとは違ってるけど 畿内説だと九州は邪馬台国の勢力範囲
九州説だと邪馬台国は九州の地方勢力 蓋を開けたら、中からばあさんが歩いてでてきたら、
腰を抜かすだろうな。 >>798
中国人は歴史修正するような蛮族ではないのだよ 天照皇大神より朝鮮人の方が早く日本に来てたのか
もうそれ日本人だろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています