初動の段階では、争いはまだ地域紛争の様相を呈していました。ロシアに言わせると、ウクライナ東部で暮らすロシア系少数民族(すなわちロシアの在外国民)が蜂起した、と。
ドンバス地域(ルハンスク州とドネツク州)に住むロシア系住民の処遇をめぐる問題が、ロシアとウクライナの二国間係争の争点でした。

 軍事侵攻から1ヵ月余りが経過した昨年3月29日、トルコのイスタンブールで両国の和平交渉が開かれます。ロシアとウクライナの代表団が対面で停戦協議のテーブルにつき、対立はいったん解決しかけました。

 ところが、ロシア軍がウクライナの首都キーウ周辺から軍隊を引き揚げると、キーウ近郊のブチャで民間人を含む大量虐殺を行っていた事件が報じられました。この「ブチャ事件」が停戦の可能性を御破算にしてしまいます。

ウクライナ側は「こんな蛮行に手を染めるような連中とは交渉できない」と激怒して交渉のテーブルから離れ、以後一度も和平交渉ができなくなってしまいます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6cb956e3936e62f8a48530848636a998212f9ed0