親鸞上人が自分を痛烈に反省されて阿弥陀様に
お救いをされていった方だと思いますが どういう形でそれが救われ
るのか 文例を紹介しながら又お話を聞かせてください

    蛇蠍奸詐のこころにて  (奸詐:うそや計略で人を陥れようとすること)
    自力修繕はかなうまじ
    如来の廻向をたのまでは
    無慚無愧にてはてぞせん (無慙無愧:悪事を働いても、それを恥じることなく平気でいること)

    小慈小悲 もなき身にて
    有情利益はおもふまじ  (有情:愛憎のこころのあること)
    如来の願船いまさずば
    苦海をいかでかわたるべき
                ー愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじっかい)

自分の心は蛇や蠍のようなものだ 自分で善を行うということはできない どん底においては如来様の
お恵みに頼らなければ悪性に包まれたまま死んでいってしまう
慈悲心も何もない私のような人間は救われようと思ってもダメで阿弥陀様にお願いするより仕方がない
仏さまの誓願の船に乗せていただいたらそのお恵みによって我々は救っていただけるんだ
(どん底の中からの喜び)