浄土真宗を調べてびっくりした。「悪人正機説」って犯罪者と昔はやんちゃしてた連中に都合良すぎる邪教だろ🤦 [639215321]
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日本最大の伝統仏教宗派、浄土真宗本願寺派(寺院数約1万)が「お家騒動」に揺れている。今年1月、室町時代につくられた聖典の現代版を大谷光淳(おおたにこうじゅん)門主(46)が示したところ、
全国の僧侶や門信徒から不満が続出。指導的立場の僧侶らが、「誤解と混乱を招いている」として総局(執行部)に取り下げを求める異例の事態になっている。
https://www.asahi.com/articles/ASR6P4CYHR61PLZB00V.html 人間視点の悪人じゃなくて仏視点での悪人だから意味が違うぞ?
仏視点では悟りを開いてない凡夫である俺らは皆悪人や 実質キリスト教やから日本ではキリスト教流行らんかった >>670
人に馴れ過ぎる前に追い払ってやったまでよ 天や神や仏や政府が許そうが俺だけは許さない
それでいいじゃない >>1
それで調べたと言ってる奴も同調してる奴も知能が低い >>1
その前に オマエ自身を全世界は注視してきた そして偉そうに御託並べてる奴も良く見たら他の宗派や他人を攻撃したり馬鹿にしたり侮蔑したりしてるだけだという悲しいお知らせ このスレ見ると浄土真宗を擁護する側のレスも罵倒や感情的な返答ばかりで何かしらの根拠に基づく反論らしきものはほぼ無い様だ
つまりそれはバカにされるなり攻撃される根拠がある可能性が高いということだ
お互いが正しい自信がある様だしどうせなら攻撃する宗派とされる宗派で公開討論すればいいのに
感情的に言い合ってても第三者から見れば根拠を示さないとどちらも同じ様にしか思えないよ
子どもじゃないんだからさ 浄土真宗には初七日も四十九日も喪中も無い
即極楽浄土行きや
寺は希望されればやるけど プロテスタントはこれの真似じゃないのか
真意は定かではないがルターが16世紀初頭、日本に観光旅行に来た際
この教え キリスト教でもいけるんじゃね、と持ち帰ったという話を聞いたことがある >>156
というかキリスト教がシルクロード通ってきたもんをパクってるだけでしょ 浄土真宗という鎌倉時代からの世襲貴族が君臨する
仏教腐敗の総本山
自民党の世襲政治家も真っ青
僧侶の世襲というおぞましい形態を生んだ穢れた糞宗派 浄土教は一遍上人の境地が究極形
口から出まかせの念仏だけで
自動的に成仏してしまうという
阿弥陀如来への信仰さえいらない
救済宗教の最終形態 善人悪人というのは仏になるための修行にまつわることで、社会的な倫理道徳の善悪とイコールではない
重なる部分もあるけど、一致しない部分もある キリスト教は社会的な倫理の善悪とほぼ一致している
というか日本社会が見えない形でどんどんキリスト教化しているのでキリスト教の善悪が社会的な善悪とイコールになっているように感じるのだろうか 例えばだ
オレはお前らよりずっと賢くて
ずっとイケメンでずっと健康で
ずっと喧嘩が強くてずっと金持ちだけど
でもやっぱり「ままならない」んだよね
だから、オレは多分正しくない
この「ままならなさ」は
この世の真理に縋るしかない
それが他力本願の意味だと思う >>689
キリスト教は最後の審判があるやん
キリスト教は輪廻思想もない
悪人正機は輪廻思想とセットなんだよ
罪は来世で償って何度でもやり直せるっていう 悪人は悪事働くことで世の中回してるから必要な存在
何もせず社会の不良債権と化してるニートの方が害悪って考え方してる人実際結構いるからな >>710
(「南無阿弥陀仏」を唱えて阿弥陀に帰依さえすれば)
どんな人間でも(死後は)苦しみに満ちた六道輪廻から解脱して極楽浄土に往生できる
という教義だから「浄土(真)宗」って言うんだが
知ったような顔で適当なこと言うヤツが多すぎるな 真宗はキリスト教と似てるのレスも多いけど
大前提の基本としてキリスト教(やユダヤ、イスラム)は神ありき
神が人を作った、神の意思は人には計り知れない、
そして言うまでもなく人は神になど絶対になれない
対して仏教は釈迦はもちろん、弥勒も阿弥陀も元は人だから
菩薩も如来も神でなく人、悟りつつある人、悟った人で、もはや人を超えていると
この違いは例えば契約と戒律の違い
神相手の前者に対して後者は個々悟るための方法論
ただし阿弥陀による救済のイメージが一神教と似ているのも確かだが
先にアンカしたとおり阿弥陀と浄土の方は>>154のようなもの
他力本願ながら実は最後には自力の余地が残されている 本来の最終目標は阿弥陀に救われて極楽浄土に往生することじゃない
その先、ひとりびとりが悟って仏になること
仏になったらひとりがひとつの仏国土を持つ
阿弥陀も元は法蔵菩薩で四十八の願いを立ててそれが叶い衆生を救えないうちは
悟ったことにならない、仏になったことにならない、と誓って
それが叶ってみずから仏になり仏国土を持ったと
だからもし悟ったらその時は自分が主の仏国土を持つことになって
そこはもはや極楽浄土ではなく、だから阿弥陀さんももういないんだよ >>704
だから流行らないんだよ
人間はなんかしたい生き物だから だから悪人正機説を>>716に繋げて考えれば
悪人たる凡夫も仏になれるし(往相回向)、悪人たる凡夫も人を救える(還相回向)
回向(えこう)は自分の積んだ善を他人のために振り向けることが出来るということ
大乗、浄土教はこうして
回向が娑婆の現世と衆生を変えていくストーリーとなる 浄土信仰も…というかいっぱいレスあるとおり、
宗教なんてバカらしいと言えばバカらしいんだよ
カネや資本主義がバカらしいように
あいつらバカだからで済めば話はもっとラクになるはずなのだが
(実際このスレでもそう済ませて終わりの奴の多いこと多いこと)
そのバカらしいことがしかし世界を現実に変えちゃってて
更にそこに否応なく自分も巻き込まれてる
話をそこで終えるかそこから始めるかの違いじゃないかな
もしこのスレが向後の役に立つとすれば…16時ちょうどをお知らせします >>719
念仏の功徳が他人にもおよぶって
平安期の空也や良忍の
融通念仏やんけ >>717
鎌倉時代に一遍上人は日本最大のスーパースターになったんだが
念仏が日本全国に広まった最大の主因は
一遍上人のアツいダンス全国ツアー 死ぬって事はそうした悪事をもうやらずに済むと言う『救済』って考えだからだろ
要するに死んだらおしまいよって考え >>1
邪教というか真理
今も昔も宗教というのは道に迷った人間にこそ必要なもので、道を踏み外した犯罪者みたいな層がもっとも救わないといけない
仏教の徳をつむという事は煩悩を制限される事であり、今でいう社会抗生プログラムになってる
罪障功徳の体という仏教の原理を学べば全て分るよ >>719
まさに往還回向由他力やね
こちらの信心が開くのもまずは阿弥陀さんの積んだ功徳によるというわけや という体でおねがいします。
「痛いの痛いの飛んでけー」
「猪木のビンタ」
それが宗教
あとはどれだけ気合いれてやるか
ビンタする方が猪木になる修行をしてビンタされる方が猪木を信じることが大事
そうすればリアルに救われるそれが現実 >>729
過去レスからしてきみが仏教や宗教学に詳しいということを踏まえた上で以下書くけれど
そのレスこそきみは近現代的な宗教は真面目に(ベタに)信じているんだなと思うんよ
もちろん猪木教じたいのことではない
そういうレスをするアイロニー(メタ)、その効果(功徳)は疑わないという信仰
アイロニーは前近代的な価値観からの自由を現すか…とんでもない
対象のメタを取ることにベタにいそしむお勤め(勤行)が課された信仰 >>712は「畢竟依を帰命せよ」(ひっきょうえをきみょうせよ)、
究極の拠り所を信じて生きなさい、ということだけど
前近代までは自分の「畢竟依」を世に示すことに何の衒いも恥じらいもなかったけれど
近代以降「畢竟依」を堂々と現すことは野暮な振る舞いとなった
「あえてやってるんだよ」「な〜んちゃって」とひと捻り入れるのが粋(いき)なんだ、と
汗の流れる場所が額から背中に変わったといえことが
なぜ自分は自由で知的だと思うことになるのか
この論理を踏み越えないと >>720に書いたのはそういうこと
宗教批判は話の終わりじゃなくて始まり…俺たち自身をめぐる話の >>731
とりあえず究極の拠り所と共に迷わず行けよ!行けばわかるさ!の境地なんかな🤔
アントニオ猪木かな >>733
ひろゆきとか成田悠輔、古市憲寿を考えると簡単だよ
成田の「高齢者は集団自決」なんてまさに良い例
成田も成田のファンもあれはただの比喩、なにマジに受け取ってんの、とやる
しかし成田も成田のファンもこれからも同じような振る舞いをやめられない
素朴な人間性から自由な立場で物を言ったようで実は素朴な人間より強く囚われてる >>735
猪木のファンもほんとは誰ひとりビンタに対してマジじゃないでしょ
そしてマジじゃないということを証すためにマジになるでしょ
阿弥陀や浄土の内容は抜いても形式は借りたまま
メタは阿弥陀なきいま自分が貰いますよと 素朴な人間性、つまり「凡夫」
成田やひろゆきを見ればまさに悪人正機説が現代でも有効なことが分かるでしょ
嫌儲なんてまさにそれを知ることができる格好の場 なむーふかーしぎーこー
ほーぞーぼーざーいんにんじー 自信が大事だな
自信があった方がいい
はマジでベタで信じてますよ旦那 猪木のファン
「…でもなんか嬉しい」
ってレベルでみんな何かを得るでしょ 方便の話も出てるのでそこに繋げてみよう
まずこれはキリスト教でも「たとえ話」でイエスみずから言ってるとおり
--
弟子たちはイエスに近寄って、
「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「あなたがたには天の国の秘義を知ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
持っている人はさらに与えられて豊かになるが、
持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。
見ても見ず、聞いても聞かず、悟りもしないからである。
(マタイ13:10-13) >>737
なるほど🤔
阿弥陀を信じてないのに阿弥陀を信じてるフリするために必死に念仏を唱える。そんで阿弥陀に対してマジになってるということとすり替えるって感じやね
阿弥陀を信じることと阿弥陀を信じる自分を信じることの違いやね >>746
これね…本来なら、特に真宗や浄土宗の立場なら
即座に違うと言うべきなんだけど
実際に違うんだけどそう単純でもないと俺は思う
というのも俺は過去レスで法然の実際に口に出す「見えるかたち」の念仏の話と
(啞はどうするみたいな揚げ足はやめてね…木魚でも何でもいいんだから)
そこにそこでは菩提心(悟りたいと思う心)さえ必要ではないという話をして
つまりそのとき
ひとまずは阿弥陀を信じてないということさえ赦されると俺は言ってもいいと思う
かたちだけ真似るだけでもね
ただしきみが分かってない(つまり近現代的信仰にはどっぷりハマってる)のは
そうやってすぐ「フリ」だの「自分を信じる」だのを話の〆に持っていこうとするところ
俺はさっきからそれは近現代を考える話の始まりだって言ってるのに >>745
あの人たちというのが誰か知りませんがキリスト教はストレートに言いますね
仏教の経典も方便で書かれています
推測すればお釈迦様が悟りを言わないのは修行者が悟ることに意味があるからだ
という結論になります
その工程が学習になるということでしょうか
多分キリスト教も同じなのでは 親鸞は聖徳太子の夢告で童貞を捨てたけど、晩年にも聖徳太子を讃える和讃をいくつか書いてるよねw >>747
「阿弥陀を信じる」なんてのもただの手段であって本来の目的では無いんやし、手段に本気になる奴がいたとしてもそれは本来の目的のために役に立つのだからよいって感じやろかね🤔
なんか手段を極めるだけで目的なんてどーでもええって人ばっかになりそうやね 本来、型のないものである生物の生き方に対して仮初でも形を与えてくれる「阿弥陀を拝むこと」という行為は、それが人の生きる道を知ること(そんなもんないけど)を教えてくれる手段としては有効である、
そう思うんよね😌 >>755
いや、就職先とか斡旋して収入得させて独立すればええだけやろ🤔
このメガネはバカかなんかか? >>746
それはちゃうやろ
猪木の一般人へのビンタの一発目か二発目、まあ初期のやつを食らいたがった奴はガチのマジにそのビンタの功徳を信じてたやろ
それを見た大衆は猪木のビンタじゃなくそのガチマジ君を信じた
一遍上人もその宗旨なんかは聞き流して一遍上人のガチマジファックさをこそ大衆は信じた
親鸞つながりで吉本隆明なんかも話してる内容じゃなくてあれはガチマジ風のパフォーマンスで信者を誑かしてた
今も昔も一般大衆の信心なんて程度もやり方も大して変わってない >>757
ふーむ🤔
猪木、ガチマジくん、それを見る観客
世の中とは関係性でできてるってことがわかる話やね そういえば吉本隆明も「最後の親鸞」って批評書いてたよねw 親鸞はほんとに独創的な思想家だけど、彼を支えたのは偉大なる天才聖德太子への信仰であったよねw >>755
キサーゴータミーちゃんかよ
お釈迦様なら口八丁で一発昇天だったろうに 知らないけど阿弥陀様の浄土に六道がないなら
そこから出ることはできないの? 浄土真宗が成立したガチ中世ジャップランドがどんな世界だったか知らんのか? 鎌倉仏教だからな
天変地異が起きて幕府も法華経から天台教を取り入れて
朝は朝晩でいろんなお経をあげてたわけですよね
しかし阿弥陀様の浄土は六道で更生できない人を集めて再教育して
もう一度六道に送るような感じに見えるな ここに詳しく書いてある
tps://www.junshinji.org/osyakasamamonogatari.html#1
阿弥陀様のほうがスケールが大きいのかな 例えば他宗、真言宗の即身成仏は輪廻するのだろうか?という問いも考えてみたい いわんや悪人をやだっけ
正義ではなく気持ちよさを優先してしまう堕落した人を養分として利用する今のビジウヨに通じるものがあるね 中世なんて悪いことしないと生き延びていけない人がたくさんいた
そのために作られたのがこの宗教
現代の価値観で図るな 南無阿弥陀仏となえ続けると悩みが薄れるとか
今なら認知行動療法だね でも今はその阿弥陀如来さえ「心の中に仏がいればいい」という解釈だからな
極楽も心の中にあればいいという解釈
大乗仏教の地獄というのも、どこか神秘的な部分があってもいいじゃないかという民衆の気持ちに答えて作られたものらしいしな
だから悪人正機も解釈次第でしょう。阿弥陀如来が出てくる限りは悪人正機も現代の解釈で考えた方が良いと思うがね でも日本人は強くあの世を信じてるよねえ
色んな伝統やら宗教やらミックスして子供の頃から洗脳を受け続ける >>701
仏教って紀元前6世紀頃に出来てるんやで >>205
なるほどなあ
日本が無宗教(薄宗教)でもモラルが高い理由はここにあるんかもな >>771
信心、感謝の心は仏さまに通じるようです。
>>770
今の世も同じですよ
阿弥陀様は悪人も浄土に行けますがお釈迦様は六道を輪廻して
煩悩をなくした人が浄土に行けます
よって阿弥陀様は悪人をどうやって浄化するのか
または浄土から出さないで隔離するのか >>772
地獄というのは自分で作り出すんです
二日酔いしたら反省するでしょ
>>773
自分が理解できないものはないと考える
これが知識を狭くしてる >>42
チャクラベーダからカルマベータへ破僧の定義が代わり玉石混交の多様な仏教ができました。
お釈迦さまの教えから逸脱しても仏教でござい、酒飲み〜の女抱き〜のだいじょぶだぁ〜? >>776
一般の浄土教では極楽往生してから極楽で修行すると考えているでしょう
阿弥陀経にもそうかいてありますね >>779
そうなんですか ありがとうございました >>772
他方世界が説かれなくなってしまったのでね
他方世界は科学と矛盾するわけでもないのだが
ほとんど迷信みたいな扱いかもしれない お釈迦様の場合は生身の人間で修行するのに対して
阿弥陀様の場合は霊魂になってから修行するのか 極楽はゆったりのんびりする場ではなく、人界よりもさらに仏道修行に専念できる場所とされています
ただし浄土真宗ではそれよりも阿弥陀様によって衆生に回向された功徳を強調しています
仏教には信解脱という考え方もありますので、必ずしもそれが仏教から外れた外道というわけではないのです 仏教瞑想には、慈しみの心を起こし広げるというものがあります
これはとても効果があり功徳と大きいものです
しかしながら、荒れすさんだ心では慈しみどころかただ心を静めることでさえも容易ではありません
そこである指導者はお釈迦様の慈しみを心に覚えなさいと言います ということはやり方は違うけども
最終的には霊を浄化するのが宇宙の法則なんですね 何かの本で読んだんですが
お釈迦様が六道に降りられて救済するということを知った阿弥陀様は
「あの手に負えない者たちを救うなんて大変な(物好)ことだ」と
いうような話をされたのを覚えてます >>660
元々念仏って如来・応供・正等覚者・明行足・善逝……って十号を称えることだったから間違ってない
大乗仏教になって仏の姿を思い浮かべるとかいう修行に変質しただけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています