第二次大戦後の1948年建国以降発生した「済州島四・三事件」や「保導連盟事件」と同様に、韓国軍が自国民を大量虐殺した事件の一つであり、軍による一斉射撃などで一般市民に多数の死者を出した[1][2]。この光州事件では市民側の目的である民主化達成と軍事政権を倒すことはできなかったが、7年後、1987年に軍事政権側が「6・29民主化宣言」を出し、言論の自由と大統領の直接選挙を認めた[1]。

当初の政府の発表では、死亡者数は170人(民間人144人・軍人22人・警察官4人)、負傷者数は380名であった。(1980年5月31日・戒厳司令部発表)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

エッチなゲームじゃなくて政治ネタ満載