評価
宇山卓栄は、「朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国でした。
朝鮮は属国として、中国に多額の金銭・物品を貢がなければなりませんでした。
しかし、朝鮮は土地の?せた貧弱な国であったので、充分な貢ぎ物を用意することができず
、代わりに美女たちを送りました。彼女たちは『貢女』と呼ばれ、多くが性奴隷にされました。
第16代朝鮮王の仁祖は中国の清王朝皇帝に土下座して、平伏しました。仁祖は中国皇帝を讃え、
自らを卑下する内容の文を石碑に刻まされました。この『恥辱碑』と呼ばれる石碑(『大清皇帝功徳碑』)が
今もソウルの江南地区に残されています。中国に踏みつけられた朝鮮の悲惨な歴史は消えることはありません。
中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような『精神の卑屈』を招きました。
朝鮮の支配者層は中国に媚びへつらい、中国のために国を売るようなことを平気で行っていました。
彼らは中国と癒着することで、様々な利権を保証されたのです。
一方、支配者層は民衆を奴隷化して酷使し、中国へ貢ぐための物品を徴収しました。
民衆の生活レベルは極端に貧しく、悲惨でした。民衆を搾取することが朝鮮の政治の中心課題になっていました。
支配者層にも民衆にも、公益や公共の意識はありませんでした。支配者層が真面目に政治を行ったとしても、
また、民衆が真面目に働いたとしても、結局、中国が奪っていくので、無意味でした[7]」

「李氏朝鮮は宗主国の中国に毎年、多額の金銭・物品を貢納しなければなりませんでした。
また、毎年、数千人規模の美女も中国に差し出されました。朝鮮には美女が1人も残らず、醜女ばかりが残され、
このことが朝鮮人の容貌を長年にわたり劣化させた原因となったと考える見解もあります。
朝鮮は土地が?せて貧弱な国であったので、中国が求める金銭・物品の貢納が慢性的に不足していました。
その不足分を補うために、若い美女たちが送られたのです。中国送りにされた美女の数は増えていく一方で、
減ることはありませんでした。若い女性が1人もいなくなった村も少なからずあったようです。
あくまで、朝鮮は中国の一部であったのです[8]」と評している。