秦  国民が満州事変に興奮したのは、事変以後、生活がよくなったと実感したからです。このころ、日本は世界に先駆けて恐慌を脱出し、満州景気といわれる好況が現出します。いくら天皇がリットン報告書受諾といっても、そんなものやめられるか、という気分だったでしょう。
 保阪  とくに大阪商人は大喜びで、荷物を背負って中国に出かけ、あちこち行商に出たとい
いますね。
 半藤  関西の景気はよかったらしいですね。それで「朝日新聞」が途中で論調をガラッと変えるんです。事変が勃発した若槻内閣のころは、事変反対みたいな事を書いていたのが、途中からバンスカ、バンスカですよ(笑)。
それは、どうやら関西で不買運動が起きたからです。奈良あたりでは
ものすごかったらしい。
 保阪  「朝日」も「毎日」も大陸にどんどん特派員を送り込んで、写真もこの頃電送写真ができて一面を賑やかに飾りましたね。
 秦  満州事変でいちばん利益を被ったのは大新聞です。発行部数は5、6年の間に2倍、3倍増ですから。いくら特派員をだし、飛行機で原稿や写真を送っても、大儲けだったでしょう。
            坂本多加雄 秦郁彦 半藤一利 保阪正康 「昭和史の論点」 文藝春秋