哲学は対話であると云われている。

面白いのは般若心経もその構造を持っていること。
突然出てくる「舎利子」もそれだし。

個人的には駄目な感じの漂う阿難陀あたりの取り
扱いも気になる。このおかげで衒学的になりがちな
ところを踏み止め仏教の色合いを多様に、そして
深くしていると思う。