一家はロシアの侵攻の数日後、西部テルノピリから国境を越えてクラクフにやってきた。オレクは当時17歳。「18歳になると兵士にならなければいけないから…」と語り、「父さんが決断した」と話した。
 ウクライナでは、総動員令で18歳から60歳の男性は徴兵対象となり、出国が認められていない。領土防衛隊で故郷を守っている父親(50)が、オレクが17歳の間に家族でポーランドに行くよう決めたという。ペトロは経緯を詳しく語らないが、同様の理由で17歳の時に出国し、現在はオレクたちと共に暮らす。
 ポーランド政府は避難民に18カ月の滞在許可を与えている。オレクは「期限まではここにいたい」と話し、コンピューター関係の仕事を探しているが、ポーランド語が話せないため就労機会を得られずにいる。
 ペトロはデザインや美術を学びたいが、避難所にWi-Fiはなく、教材も手に入らず、オンライン授業が受けられる環境が整っていない。2人とも「今は将来のプランを描くのがとても難しい」とうつむく。

ペトロが避難生活の慰めとしているのが、絵や詩を書くことだ。激戦地マリウポリのアゾフスターリ製鉄所で最後までロシア軍に抵抗した「アゾフ連隊」の兵士たちや、ゼレンスキー大統領、ウクライナ支援に力を入れたジョンソン元英首相など、彼のヒーローたちの絵を見せてくれた。
 避難民を取り巻く状況は厳しい。ポーランド政府は「自立」を求め、民間の寄付も激減し、多くの避難所は運営が火の車だ。母親は故郷ではネイルサロンを経営していた。クラクフでは飲食店で清掃と皿洗いをし、1日12時間のシフトを深夜までこなす。妹アナは「学校で友達をつくるのは難しい」と打ち明け、「ペットのハムスターを連れてこられなかったのが寂しい」と残念がった。

同じ避難民の間でも、微妙な感情がうずまく。一家を知るウクライナ避難民の30代女性は、「息子の徴兵を逃れさせたい親の気持ちもわかるが、国の男たちは命を懸けて戦っている」といい、「とても複雑な気分だ」と話した。
 ポルトガルに親戚がいるというオレクは、同国に渡ることも考えている。しかし、今一番どんな支援が必要か聞くと、「ウクライナ軍に武器を提供してほしい」と即答し、こうつぶやいた。「戦争に勝てば、家に帰れるから」

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